宮田塾のブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

勉強とごほうび・報酬

「成績が上がったらごほうびとして○○円あげる」
「次のテストで○○点取ったら○○を買ってあげる」
こういうやり方はいいんでしょうか?と質問を受けることがあります。

個人的な意見ですが、全然OKだと思います。

そりゃ「100点を取ったら不動産を買ってあげる」といった行き過ぎは問題だと思いますが、その家庭における常識的な範囲内なら、とくに問題視すべきではないでしょう。

反対派曰く、
「褒美がないと行動しない人間になってしまう」
「何にでも見返りを求めるさもしい人間になるのではないか」

それはちょっと考えすぎなんじゃないかと思いますね。もし、そうなってしまうのなら、それは「ご褒美制度」が悪いのではなく、根本的な「しつけ」の部分が悪いのだと思います。

有名な数学の先生で森毅先生という方がおられます。教育に関する著書も多い方ですが、どこかでこんなことを書いておられました。

「皆、勉強というものを神聖視しすぎているんじゃないか。たかがテストの点数など、ゲーム感覚でよい。点数が高かったからといって幸せが約束されるわけでもなく、優れた人間になれるわけでもない。そういう点で、点数とお金はよく似ている。お金だって、たくさんあるからといって幸せになれるわけでも、人間の価値が高まるわけでもない。所詮は点数、所詮は金である。とすれば、成績に対して経済的な褒美を与えることに問題はない。」

と、まぁだいたいこういう感じの内容です。
(出典がどこだったか判然としません。すみません。)

私も同感です。もちろん、一生懸命勉強することは尊いと思いますし、それをバカにする風潮に与しようとは思いません。しかし、一生懸命努力することと「ご褒美」が両立しない、という考えには違和感を覚えてしまいます。

子供だって、成功報酬は嬉しいもの。ご家庭によって考えは違うかと思いますが、「ご褒美」をいけないもの・レベルの低いものだと考える必要は全くないと思います。

スポンサーサイト

PageTop

プリントの間違い

学校から配布されるプリントに、間違いが含まれていることがあります。もちろん、私も間違うことがあるので、間違いを責めるつもりはありません。(あまりに根本的な間違いはダメだと思いますが。)

困るのは、「試験に出すぞ」という趣旨で学校の先生が配布されたプリントに間違いがあり、先生自身が間違いに気づいておられない場合です。その先生が試験問題を作成し、採点されるわけですから、試験ではそれが「正解」ということになります。

本来なら、生徒に間違いを指摘した上で、(真の意味での)正解を教えるべきなんでしょう。

しかし経験上、皆が皆、本当の「正解」と試験用の「正解」を覚え分けたり、使い分けたり出来るわけではありません。よかれと思って指導しても、点数を下げることにもなりかねないわけです。

そういう時は、あえて黙っておき、試験が終わってから「実はね...」と指導するのが一番無難だろうと思っています。

ちょっと「長い物には巻かれろ」式の考えですが、試験のキモは「出題者の意図にフィットする」というところにある以上、やむを得ないところです。

PageTop

げに恐ろしきは遺伝なり

真夜中。いきなり耳元で大きな笑い声が。

ビックリして起きてみると、隣では息子が満面の笑顔で眠っています。

「お前の寝言かいっ!」

我が息子、何が楽しいのか、寝ているときにしばしば大笑いしています。かく言う自分も時々、寝笑い(?)しているようなんですが、遺伝でしょうかね?

PageTop

知識にハンドルを付ける

ヒラメとカレイってよく似た魚ですよね。
どうして見分けるかご存知ですか?

上から見ると、目の位置が違うそうです。
ヒラメの目は左側に寄っており、カレイの目は右側に寄っているので、見分けられるというわけです。

「へ~そうなんだ」ということで終わってしまいそうですが、こうすればどうでしょう?

ラメだからダリ側に目がある」と考えておけば、この知識を忘れにくくなるのではないでしょうか?
(カレイはその逆と考えればよいだけです。)

で、それがどうしたの?
こんなtriviaを覚えてどうするんだ?

確かにそうですね。
しかし、私が言いたいのは「知識は覚えやすいように加工することが大切だ」ということです。

持ちにくい荷物にハンドル(取っ手)を付けるだけで、ずいぶん持ちやすさが違ってきます。ボーリングの球も指を入れる穴がなければ投げにくいことこの上無いはずです。

知識もこれと同じで、ハンドルを付けることによって、取り扱いやすさ(覚えやすさ)が大きく変わってくるものだと考えます。個人的には、上記のような操作を「知識にハンドルを付ける」というふうに表現しています。

(ちなみに、"handle"という語は他動詞になると「(問題などを)扱う・さばく」という意味があります。)

塾では小中学生を対象にしていることもあって、常に「ハンドル」の付け方を意識しています。全ての知識に「ハンドル」を付けることは難しいのですが、できるだけ多くの知識に「ハンドル」を付けて提供することが大切だと考えています。

PageTop

中学入試 国語の解法・解き方 #3


理由・根拠を答えさせる問題→ヒントは傍線部近くにあり

筆者が傍線部のように考えるのはなぜか」という問題がよくあります。筆者がそう考える理由・根拠を答えさせる問題ですね。

正しい解き方は「文章の論理構造をしっかり捉えて、結論部分に対応する理由・根拠の部分を探す」ということになるんですが、これでは全然「解き方」として満足してもらえないでしょう。「答は答の書いてある部分を探しましょう」というのに等しいでわけですから。

問題は「どうやって理由・根拠の部分をさがすのか」ですね。

あくまで原則論ですが、傍線部分の直前&直後や同一段落内の文章はものすごく大きなヒントになると考えてください。それ自体が答にならずとも、大きな手がかりになることが多々あります。

論理的で分かりやすい文章は、理由と結論をしっかりリンクさせてあることが多いというのがその理由です。あまり理由と結論が離れすぎていると、論理性を感じ取りにくい文章になってしまうわけですね。

ただ、入試の場合、ある程度の悪文が好まれる、という傾向は確かにあります。あまり簡単に根拠や理由が発見されては困る、文章構造が簡単に見破られては困る、ということが原因なんでしょうが、このあたりは各中学校の考えや出題者の好みが反映されるところです。

ある中学は平気で結構離れた部分の文章を理由としてあげさせることがある一方で、ある中学は傍線部分近辺しか理由説明に使わせない、という感じです。入試過去問をしっかりチェックする意義は、こういうところにもあります。

いずれにせよ、上述したような部分が大きなヒントになることが多い、というのは事実ですので、問題を解くときに意識するとよいでしょう。

この記事を書いていて思い出しましたが、入試の過去問を研究(というと少し大げさですが)する意義については、また別の記事にしたいと思います。

PageTop

無理な恋愛

息子がTVで見たのか、意味を尋ねてきた言葉。

「パパ、『むりなれんあい』ってなに?」

まだ指しゃぶりしている奴にそんなこと聞かれても...。

「『れんあい』って男の人が女の人を好きになることやねん。それがうまくいかへん、っていうこと。」

「ぼく、ママすき。」

「そういうのは『れんあい』とまた違うねん。ママがすきなんは『だいすき』っていうねん。」

何か腑に落ちない表情の息子。彼にもいつか「恋愛」の何たるかを知る日が来るのでしょうか。

PageTop

中学入試 国語の解法・解き方 #2


文章に書かれていないことは解答にしない
あなたの考えは聞かれていない

当たり前のことですが、「文章読解」問題においては「文章を読み解く」ことが求められています。言い換えれば、文章に示されている筆者の考え・主張を読み取る、ということです。

特に評論文や説明文などでは、文章を文面通りに素直に受け取ることが大切です。例外的に、ある程度、文章から推論をすすめるべき問題もありますが、その推論の幅は極めて狭いものです(特に中学入試)。

簡単に言えば「書いてある通りの選択肢を選ぶ」「書いてある通りに記述する」というのが鉄則です。

これをお読みの方は「そりゃそうだろう」とお思いかもしれません。しかし、実際の答案を見てみると、結構な割合で「自分の考え」が混入してしまっているものです。難関大学を受験するような生徒ですらそういうことがあるぐらいです。いわんや中学受験生においてをや。

例えばこんな感じです。

「現在の地球環境が説明されている文章」を考えてみてください。筆者が客観的に地球環境の現状をレポート・説明しているだけの文章です。こうした文章の要約を選択させると「地球環境を保護すべきだ」式の文章にアッサリひっかかる生徒が出てきます。

考えてみてください。文章に示されているのは「地球環境の現状」です。「地球環境をこうすべきだ」という話題には触れられていません。筆者は地球環境の現状を見て「環境保護に努めるべきだ」と思っているのかもしれませんし、「もう手遅れだから行き着くところまで行き着くしかない」と諦めているのかもしれません。

もちろん、道徳的には「環境保護に努めるべき」なんでしょうが、そう文中に示されていなければ、そう読み取ってはいけません。筆者が「環境保護に努めるべき」と考えているかどうかは「分からない」ということになります。したがって、選択肢もそれに応じたものを選ぶ必要があります。

「環境を保護すべき」「自然を大切にすべき」といった内容はよく聞かれる主張ですし、反対すべき主張でもないでしょう。しかし「書いていない」主張を答えにしてはいけません。

選択問題を例に出しましたが、記述問題も同じで、勝手な考えを混入させないことが大切です。「筆者の考えを80字程度で書きなさい」という問題なのに、自分の考えを20字程度入れてしまったりすると、大幅な減点を食らいます。(本文から離れて見た)解答の文章自体はおかしくないので、解答者自身もなんとなくできた気になってしまうのが恐ろしいところです。

そんなわけで、国語で得点を取れる解答というのは、得てしてそつのない(ある意味没個性な)ものになります。それで十分なのです。目も覚めるような美文だとか、画期的な意見などは求められていません。(そもそも、限られた試験時間の中で小学生にそんなものを求めてもムダです。)

あくまでも出題者は「あなたはこの文章を『読み解けますか』」と聞いているのであり、「あなたはこの文章を『どう思いますか』」と尋ねているのでは決してない。そのことを胸に刻み込んで欲しいと思います。

PageTop

先生って何歳?

「先生って何歳?」
よく生徒に聞かれる質問です。

自分が子供の頃は、先生の年齢なんて全く興味がありませんでしたが、今の子供達には関心事項のようです。

学校の先生方は、(女性が多いためか)年齢を秘しておられることが多く、余計に興味が湧くのかもしれません。

「ん?38歳やで。」
と答えると生徒の反応は様々です。

中には「覚えておこう」と言いながらノートに取る生徒もいたりします。確かに、大事なことや気づいたことをノートに取る習慣が身に付いているのは感心ですが、そんなことは覚えなくてもかまいませんから!

なお、年齢を聞かれたときは素直に答えるとともに、「先生はいいけど、他の人、特に女の人には歳と体重を聞いたらあかんよ」と付言しています。勉強よりも大切な知識かもしれない(笑)。

PageTop

大学生の学力低下

大学生の学力低下が叫ばれて久しいですが、それにまつわる話を。

半年ほど前、某レストランで食事をしたのですが、たまたま、カルチャースクールのご一行がお隣に。(レストランといっても庶民的なところです。)

中年層~年配層の方々が30名程度でしょうか、先生を囲んで懇親会を開いておられるようです。生徒さんも向学心に溢れた方々のようで、非常に微笑ましい光景でした。

人の話に聞き耳を立てるような下品なマネはしませんが(一応そういうことにしておいて下さい(笑))、先生が大声でスピーチしておられたので、否応なしに話が聞こえてしまいます。

どうやら、本業は関西有名私大の英語の教授をなさっているようで、カルチャースクールでは少し堅めの英書購読を指導されている模様。

先生曰く「長年○○大学で指導しており、英文学の原書を学生に読ませ続けてきましたが、ここ3~4年ぐらい前から、学生達が原書に全く歯が立たなくなってきました。やむを得ずリライトした物やレベルをかなり下げた物を使っています。が、ご熱心なあなた方には原書講読が指導できて嬉しかった...云々。」

思わず、横にいた副代表と顔を見合わせました。

有名私大の学生がそこまで落ちているとは!

外書購読って、速読や受験勉強とは違って、じっくり掘り下げて外国語を読む作業ですから、確かに面倒です。しかし、逆に考えれば、「辞書を片手に予習→講義を受ける」というプロセスを地道に繰り返せばいいだけだとも言えます。そうした作業もできない(orしようとしない)状態なんでしょうか...。

ちなみに、原書といっても、シェイクスピアなどではなく、もっと読みやすい作家達を挙げておられました。いわゆる有名私大レベルでも、平均的に見れば、かなりの学力低下が進行している、そんな気のする一件でした。

PageTop

車掌さん

息子を電車に乗せると、いつも大喜びです。電車の何が子供の心を捉えるのかよく分かりませんが、とにかく電車に乗ったり電車を眺めたりするのが楽しいようです。

電車から降りた後も、去りゆく電車を名残惜しそうに眺めつつ、「バイバ~イ」と手を振る息子。私としては、電車よりそちらを見る方がずっと楽しいわけですが...。

地下鉄や私鉄では経験したことがありませんが、JR環状線の車掌さんは、そうした子供に結構反応してくれます。

ニッコリ微笑んで、挙手の敬礼というんでしょうか(警察官や自衛隊員がよくしている左手を額の前に持ってくる敬礼です)、あの敬礼を息子に向かってして下さったことが何度かあります。

子供はもちろん大感激なんですが、大人の方も嬉しくなってしまいますよね。何というか、カッコイイ。彼らの仕事に持つ誇りを感じさせてもらえるから、そう思うんでしょうか。

車掌さんと息子の間に、電車を介した無言のコミュニケーションがあることにも、少なからず妙味を感じます。

PageTop

活字中毒

とにかく活字を読むことを偏愛する人種がいます。活字がないと生きてゆけない、朝から晩まで活字を追いかけたい、といった人種です。活字のない環境に置かれることを考えると、並々ならぬ恐怖心を覚え、傍らには常に読むものが置かれている。食事時はもちろん、入浴時にも何かしら読んでいる。旅行に出かけても、観光はそこそこにして本ばかり読んでいたり...。

...はい、私のことです。

ちょっと自分でも良くないとは思うんですが、一種の中毒なんでしょう。もちろん、質の高い読み物に目を通すのが最高ですが、それが無理なら、何でもよいから活字に目をさらしたい、という感じです。

こうした人は、多数派ではないにせよ、一定数この世に存在するようです。故中島らも氏や、ラサール石井氏などは、著書だったかTVだったかで、カミングアウト(?)しておられた覚えがあります。

戦時中、学徒動員された兵隊達も、活字が読めないことをもっとも苦痛に思ったと聞きます(人によるとは思いますが...)。内地から送られてきた薬の「効用書」を、兵隊達が奪い合って読んだいう話がありますが、活字への飢えが痛いほど伝わってくるエピソードではありませんか。

私のような活字中毒者にとっては、ある意味、どんなエピソードよりも戦地生活の辛さをリアルに伝える話である気がします(大げさですかね?)。幼い頃、乗せられた車の中で読むものが何もなく、ポテトチップスの袋の裏側を何度も何度も熟読していた私にとっては、身につまされる話なのです。

覚醒剤や麻薬犯罪で何度も検挙される人達をニュースで見るたび、バカだなぁと思うんですが、覚醒剤を活字に置き換えると、なんとなく分かるような気がしてしまったり。いやいや、薬物犯罪を擁護するわけではありませんよ。本当に活字が合法でよかったと思います(笑)。

それで思い出しましたが、書物が非合法化されている近未来を描いた有名な作品があります。レイ・ブラッドベリの「華氏四五一度」です。華氏451度は紙の発火点。主人公はあらゆる書物を焼却する焚書官なのです。書物の所有者は極刑に処せられるのですが、私など一発で極刑でしょうね。

PageTop

夏期からの入試国語対策


受験国語錬成宮田国語塾のサイトを少々改訂しました。といっても、夏期からの入試国語対策について数行コメントを付け加えただけですが...。

生徒さんの学力や志望校によって、対策や方針が異なってきますので、詳しくはお電話にてお問い合わせいただけると幸いです。

現在、受験国語錬成部門では、「塾長が責任をもって個別的に指導している」&「一教室のみで運営している」という事情から、多人数の生徒さんをお預かりすることは避けております。そのため、原則として対象は受験生のみに絞っておりますが、小学4・5年生や高校1・2年生の保護者様からお問い合わせを受けることも増えて参りました。

公式サイトの方は少し(かなり?)素っ気ないのですが、上記のようなお電話や面談では、しっかり説明・アドバイスさせていただきますので、お気軽にどうぞ。(もちろん、当方から後日しつこく勧誘したりすることは断じてありませんので、ご安心下さい。)

PageTop

勉強は終わり良ければすべて良し

毎日新聞に仲畑流万能川柳というコーナーがあります。朝からクスッと笑わされたり、色々考えさせられたりすることが多く、なかなか面白い欄です。自分で川柳を作ろうとまでは思いませんが...。

2008.06.13(金)の万能川柳欄に、こんな川柳が掲載されていました。

学校は終わり良ければすべて良し (今治 土岐優理也)

おそらく「人は最終的に出た学校で判断されるものさ(途中の学校は関係ねぇよ)」という皮肉だと解釈すればよいのでしょうが、ちょっと面白い問題提起であるように思います。

最終学歴で判断されるということは、逆に言えば、途中の学歴はどうでもよいということにもなるわけです。もちろん、こうした考えは常々批判的に語られるところですし、私も全面的に賛成しているわけではありません。

しかし、塾を運営している立場からすると、やはり最終的に立派になってほしい、もっと率直に言えば最後の最後でしっかりとした花を咲かせ実を付けて欲しい、と思うわけです。途中の花よりも最後の実とでも言いますか。

「小学生の頃の成績はずば抜けていたのに徐々に先細りになっていった」「有名進学校に進んだものの大学受験では全く結果を残せなかった」

非常に切ない話です。むしろ「最初から勉強なんて全然できなかったよ」という方が救いがあるかもしれない。

そういう意味で、目先の成績よりも、しっかりとした学力・底力を重視すべきだというのが、宮田塾のポリシーです。もちろん、その両者を獲得できるに越したことはありませんし、実際、両立するような指導を心がけています。(そして多くの生徒はその両方を獲得していると思います。) が、どちらかを選べと言われれば、断然後者の方が大事でしょう。
(受験生はまた別論ですよ。念のため。)

そんなわけで、冒頭の川柳、ある意味宮田塾の基本姿勢に共通するところがあります。ちょっとマネして(すみません)宮田塾バージョンにしてみると、こんな感じでしょうか。

勉強は終わり良ければすべて良し

お粗末でした。

PageTop

中学受験用の国語辞典


以前、小学低学年向きの国語辞典について記事を書きましたが、今日は中学受験向き(小学高学年向き)の国語辞典について。

これぐらいの年齢になってくると、結構な学力差があるので、一概にこれがベストとは言い切れないところがあります。国語力が高ければ大人用のものでも使いこなせるでしょうし、低ければ小学低学年用のものを継続的に使う方がよいでしょう。

問題は中学受験を念頭に置いた場合です。この場合、ある程度背伸びした語彙を身に付けておきたいのは事実です。かといって、あまりそっけない語釈の辞書だと、語の理解が難しい。両者のバランスを取っている国語辞典の一つとして、三省堂の例解新国語辞典があげられます。中学受験生や意欲的な小学高学年の生徒が使うのに便利な一冊でしょう。

先日も、甥っ子(小学6年生)の国語辞典選定を依頼されたので、この本を推薦。中学校に入っても十分活用できると思います。というか、中学生向きの辞書として作られているんですけどね。

なお、三省堂は新明解国語辞典という辞書も出版しています。書名が似ていますので、気をつけてください。新明解は国語辞典界の異端児?で、辞書マニアから「新解さん」と呼ばれ親しまれている書です。私は良い辞書だと思いますが、中学受験生にはあまりおすすめしません。

PageTop

新しい言葉を説明する


3歳の息子と食事をしていると、彼がいきなり私に尋ねてきました。

「パパ、『よぎちゃ』ってなに?」

「ん?新しいお茶か何か?パパも知らんなぁ。」

(腑に落ちない顔で)「よぎちゃ。よぎちゃ。」

文脈的に夜汽車でもなさそうです。

「知らんなぁ~。もう少し説明してみて。」

「よぎちゃ。かとーよぎちゃ。」

(秋葉原の事件か!)
「それは「ようぎしゃ」や!悪いことをした人のことやで。」

お互いに悩みが解けてニッコリです。

かなりアバウトというか、不正確な言葉の説明ですが、幼児に厳密な定義は必要ありません。むしろ語の大まかなイメージを持ってもらうことが大切でしょう。

逆に、高校生に「容疑者って悪い人のことです」と説明したら、バカにされること必至です。やはり「捜査機関において犯人であるとの確信を抱くには至っていない者」ぐらいの説明が必要でしょう。

語彙を増やすには、時期やレベルに応じた説明が必要です。授業で新しい言葉を説明するとき、最も気をつかうのはこの点ですね。

PageTop

夏期講習についての考え

宮田塾も、夏期はいわゆる「夏期講習」を行いますが、受験生を除き、授業時間・時間割自体は通常通りとなっています。

中学受験をする小学6年生、高校受験をする中学3年生、および大学受験生については、夏の特別講習が非常に重要であることは言うまでもありません。「夏は天王山!」というやつです。

しかし、一般的な生徒(受験を控えているわけではない生徒)については、時間を大幅に増やしたり、時間割を大きく変える必要性があまりありません。最も大きな理由は「長時間生徒を拘束したからといって、必ずしも学力・成績が伸びるわけではない」ということです。むしろ、塾に長時間いることで集中力を失い、勉強をしたつもりになっているだけ、ということになりかねません。「キッチリとしたカリキュラムのもと、通常通り集中して勉強する」というのが、夏期休暇中でもベストの方法だといえます。

では何故、いろいろな塾において、通常よりも大幅に授業時間を増やした夏期講習会が行われているんでしょうか?

少し塾業界の裏話になってしまいますが、塾といってもやはり企業の一つ。教職員やスタッフに夏冬2回の「ボーナス」を出す必要があります。もうおわかりですよね? つまり、夏期講習や冬期講習は塾側の(経営的な)都合で設定されていることが多いんですね。(もちろん、受験生にとっては、夏期講習や冬期講習が非常に重要であることは当然ですし、真っ当な目的を持って講習会を開いておられる塾があることも事実です。)

当塾では、上記のような理由から、受験生以外には特別な(=授業時間を大幅に増やした)講習会の必要性は高くないと考えています。夏期はレギュラー授業時間割のなかで、7月までの基本的な部分の復習・9月以降の予習に重点を置いた授業を実施するとともに、普段できないようなじっくり考える問題・難しめの問題にチャレンジしてもらうようにしています。

夏休み中は学校での疲れがない分、普段より落ちついて勉強に取り組むことができるので、こうした問題にチャレンジするには最適の時期なんですね。そういう意味では、私たちも少し楽しみな時期と言えます。

なお、生徒自身が自発的に「授業以外にもっと勉強したい!」と思う場合は、いくらでも課題を出しますので、ぜひ名乗りを上げて欲しいと思います。

以上、夏期講習についての考えでした。

PageTop

敬体か常体か


敬体とは、原則として「です・ます」で終わる文体のことを言います。「ですます体」とも言います。

一方、常体は、原則として「である」「だ」で終わる文体。「である体」とも。

当初、このブログはどちらで行こうか少し迷ったんですが、ブログの趣旨に記したとおり、堅苦しい感じにしたくなかったので、あえて敬体を採用しました。(もう十分堅苦しいわ!と言われそうですが...。)

しかし、本来書きやすいのは常体文の方でしょう。文章に客観性を持たせやすいことに加えて、文をスッキリとまとめやすい気がします。あと、筆者の権威を感じさせるなら断然常体です。実際、学者の発表する論文などは、ほとんど常体で著されています。

この辺りは色々議論があるところでしょうが、個人的には、敬体・常体の選択は読者側のイメージだけでなく、筆者側のイマジネーションをかなり束縛しているのではないかという気がします。

例えば、夏目漱石の「坊っちゃん」の冒頭部。
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。」

敬体にするとこんな感じに。
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしています。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事があります。」

強情な坊っちゃんはどこかへ消え、えらく行儀の良い(そして無鉄砲な自分にちょっと愛情を抱いているような)坊っちゃんが出てくる気がします。いくら漱石でも、敬体ではあの小説を書けなかったでしょう。

(注:「小供」は原文そのままです。漢字の書き取りでは「子供」と書きましょう。)

ちょっと尻切れとんぼ気味の文章ですが、今日はここまで。

PageTop

四天王寺学園小学校の折込広告

来年度開校する四天王寺学園小学校の案内が、昨日(2008.06.07)、新聞折込に入っていました。

いわゆる有名中学・高校の関連小学校(附属小学校と称してよいのか分からないのでこういう表現にしておきます)なので、折込なんかしなくても大人気なのでは...と思うんですが、藤井寺という、大阪市からやや離れた所在を気にしておられるんでしょうか。

当塾は小学校受験を扱っているわけではないんですが、いずれ四天王寺中学の入学定員や倍率・偏差値などに影響が及んでくるかもしれません。そういう意味ではやや関係があるとも言えます。

それはさておき、最も気になったのは折込広告コピーのフォント(書体)です。(興味はそこかよ!というツッコミは甘受しましょう。)

手書きのような暖かみがありながら、キッチリした感じもある書体...これって「セプテンバー」じゃないですか!

一時、日本語フォントに凝ったことがあるので、私のMacには色々な日本語フォントが収められています。しかし、どれか一つを選べと言われれば「セプテンバー」を選ぶでしょう。最高に素晴らしいフォントです。

見本や詳しい解説はこちらを見ていただきましょう。
http://www.type-labo.jp/Hanpusept.html

フォントデザイナーの佐藤豊さんがこのフォントを作成しておられる最中に(フォントを作成するには莫大な時間と労力がかかるそうです)、応援してくれていた友人が亡くなった。亡くなったのが9月だったので、追悼の意を込めて「セプテンバー」と命名なさった...。

そんなエピソードも思い起こすと、さらに味わい深くなるフォントです。

四天王寺学園小学校の折込はプロが作成しているんでしょうが、この学校が(おそらく)持とうとしている、暖かみや真面目な感じ・知的なムードを表現しようとしたんでしょうね。狙いは成功しているように思います。

PageTop

「美肌」という言葉

宣伝などでたまに耳にする「美肌」という言葉、すっかり市民権を得ている感があります。

しかし、「びはだ」という読み、どうも座りが悪いように思えてなりません。

「び」は音読み「はだ」は訓読みなので、いわゆる「重箱読み」というやつです。この点が少しひっかかる原因の一つです。確かに、「番組」「団子」など、重箱読みの熟語は色々ありますが、やはり上が音読みなら下も音読みでいきたいところです。両方音読みだと「びき」ということになります。

国語辞典を見てみると「びはだ」はしっかり収録されています。広辞苑、大辞林、辞林21、明鏡国語辞典、学研国語大辞典、岩波国語辞典など、いずれを見ても収録されているので、おかしな言葉ではなさそうです。

ただ、「びき」を収録している辞書も結構あるんですよね。上記の辞書の中では、大辞林、辞林21、学研国語大辞典がそうです。

「びき」だと、商品アピールの力に欠けるんでしょうかね。

あと、屁理屈かもしれませんが、「び」「だ」という濁音の存在も気になります。濁音が入るとどうしても「美しさ」「しなやかさ」に欠けるイメージがあります。化粧品や美容グッズの宣伝で「びはだ」「びはだ」と連発されても、あまりキレイになれそうにないと感じるのは私だけでしょうか。

まぁ、私自身「美肌」とは何の関係もないむくつけき男なので、化粧品会社も「お前には言われたくない」というところでしょうが。

PageTop

早稲田大学の系列高校 in 大阪

早稲田大学の系列高校が大阪にも出来るようですね。


早稲田大は6日、大阪府と佐賀県に新たに中高一貫の系列校を設けると発表した。早稲田実業、早稲田に続く国内の系列校になるが、東京以外では初めて。
 同大では「地方の優秀な人材を早い段階から確保し、大学の活性化につなげたい」と説明している。系列校になるのは、私立摂陵中学・高校(大阪府茨木市)と早稲田佐賀中学・高校(仮称、佐賀県唐津市)。
 摂陵は高校が1962年、中学は85年に創立された中高一貫の男子校。2009年に系列化し、校名に「早稲田」が入る。定員335人中約40人が同大に進学できる見込みだ。早稲田佐賀は10年に新設し、将来的には240人の約半数を同大に受け入れるという。佐賀は同大の創設者・大隈重信の出身地という縁から選ばれた。
 同大は地方出身者の割合が低下傾向にあり、昨年度は在校生の6割以上が東京、神奈川、千葉、埼玉の高校出身者。関西、九州の出身者はそれぞれ5%にとどまっていた。
(2008.06.07 読売新聞)


ローカル大学になりつつある早稲田と、摂陵中学・高校の利害が一致したんでしょうが、摂陵中学・高校の方は335人中40人の進学とのこと。1割強しか進学させないあたり、早稲田がちょっと及び腰になっている印象を受けます。10人に1人しか進学できないのに、早稲田の校名を冠して(冠させて)よいんでしょうかね。

PageTop

SPEEDO社製水着問題

泳ぐのが好きなので、水着には少しだけこだわりがあります。ここ15年ぐらいは、SPEEDO社製ばかり使用しています。コンマ何秒というタイムを競うわけではないので、性能がどうこういうわけではありません。着心地や耐久性が優れているように思うだけです。

今年初め、新しいスイムウェアを購入しようと思い、ショップに出かけましたが、なぜかSPEEDO社製のものがほとんど置かれていませんでした。(冬場だと年度落ちのスイムウェアを安く入手できるのです。セコイですが。)

あるのは、アリーナやミズノばかり。不思議に思ってネットで調べてみると、ミズノがスイムウェアを独自開発するため、SPEEDO社製スイムウェアの販売を取りやめたのが原因のようです。(現在の販売はミズノよりもやや販売力に劣ると思われる別会社が担当しています。)

その時は、特にどうとも思わなかったのですが、これが大きな問題を引き起こすことになりました。

ご存知の通り、SPEEDO社が新開発したスイムウェアで世界記録が量産されているものの、日本の水泳連盟は国内三社のスイムウェアしか着用を認めていないため、水泳選手が困惑しているという問題です。

6月6日の大会では、SPEEDO社製のウェアを着用した日本選手が、多数の日本新記録を樹立したとのことで、SPEEDO社製着用許可に向かいそう、というのが現在の状況です。

外部の人間にははっきりと分かりませんが、おそらく水泳界にも「大人の事情」があって、あっさり着用許可というのは難しいのでしょう。しかし、部外者としては、選手に好きなスイムウェアを選択させてあげたいと強く思います。

勉強で言えばこんな感じですよね。

超難関校の入学試験。入試を受けるにも激烈な競争があり、そのほとんどは足切りにかかるため、受験場に来ること自体が大変な名誉である。受験生は試験時間を有効に使うため、筆記具には細心の注意を払っている。最近、頭の中の考えをスムーズに文字に出来るペンが新開発され、そのペンを使った人間が模試で次々と好成績を収めている。しかし、自分には普通の鉛筆しか使用が許されない。何故なら、今まで勉強資金を出してくれていたのは、鉛筆会社だったから...。

塾の生徒がこんな感じだったら、鉛筆会社に直談判に行きますね(笑)。

オリンピック自体にはほとんど興味がありませんが、スポーツにまつわる社会事象は興味深いものがあります。

PageTop

iPhoneと塾業界

ご存知の方も多いとは思いますが、iPhoneとは、米Apple社が昨年発売した画期的なモバイル端末です。どれぐらい画期的かは、星の数ほど解説サイトがあるので、そちらをご覧いただくとしますが、現時点では日本国内で発売されていません。

しかし、ネットのニュースを見てみると、年内発売が決定したようです。キャリアはソフトバンクモバイル。う~ん、個人的には契約が面倒そうですが、あまりにもiPhoneが魅力的なので、おそらく導入するかと思います。

iPhoneと他の端末を比較すると、大人と子どもぐらいの機能差があるので、携帯業界にとっては「黒船来航」となるはず。これはなかなか面白い見物になりそうです。

これほど発達した日本の携帯業界ですが、実は外国における競争力が全くと言ってよいほどありません。日本独自の方式にこだわったため、海外でのシェアが著しく低くなっているんですね。こうした状況を政府(総務省)もかなり危惧しているはずですが、ますます情勢は悪化していくのかもしれません。日本のメーカーが海外の市場になかなか参入できない一方で、アッサリと海外のメーカーが日本市場に参入してくるわけですから。

よく考えてみると、塾業界にもよく似た事情があるのかもしれません。塾という性質上、それぞれの国独自の教育環境や言語が大きな参入障壁になっており、日本の塾が海外に発展してゆくということが難しいわけですから。

もちろん、逆に言えば、日本語や日本独自の教育環境が参入障壁になって、海外の塾が日本に乗り込んでくるということも難しいんですが、それ以上に、(東アジア圏を除いて)海外にはほとんど塾というものがないそうです。そんなわけで、これからも塾業界の「黒船来航」は考えにくく、ずっと「鎖国」は続きそうです。このあたりが携帯業界との違いでしょうか。

PageTop

追悼 ボ・ディドリー(Bo Diddley)

6月2日に亡くなったボ・ディドリー(Bo Diddley)、大好きなミュージシャンの一人です。

一般にロックと呼ばれる音楽を遡ってゆくと、1950年代にその原型が出来たことに気づきます。それまでのブルースやリズム&ブルースと呼ばれる黒人音楽よりも、さらに激しいビートが強調されている音楽がこの頃からポピュラリティを持ち出すわけです。

この頃にそうした音楽(要するにロックの原型)を提示したミュージシャンとしては、チャック・ベリー、リトル・リチャード、ファッツ・ドミノ、そしてボ・ディドリーあたりが思い浮かびます。

ボ・ディドリーが、彼独特の弁当箱のようなギターで繰り出すビートは、とにかく暑苦しい。モワッとした湯気や蒸気を感じさせるほどに暑苦しい音楽です(いい意味で)。一本調子な曲が多いという評もありますが、我が道をゆく感じが何とも言えぬ妙味をかもし出す音楽。とにかく図太い音楽です。ロックの一源流をなす音楽であることは間違いないでしょう。影響を受けたバンドも、ローリング・ストーンズなどのビッグネームがずらり。

Rock & Roll Hall of Fame (ロックの殿堂)のサイトには、こんな説明があります。

"He will forever be known for popularizing one of the foundational rhythms of rock and roll: the Bo Diddley beat. "

まさにその通りだと思います。

私がライブを見たのは、もう20年ほど前にになりますが、ステージ上でもとにかくマイペースな感じの「おっちゃん」でした。ご冥福をお祈りいたします。

興味のある方はYouTubeなどでご覧下さい。

PageTop

ローマ字考 : 塾は "juku" or "jyuku" ?

宮田塾のアルファベット表記は "miyatajuku" と定めています。まぁ、別に諸外国に教室を展開するわけでもないので(笑)、どうでもよいとも言えますが、表記の問題としては結構大事な内容を含んでいる気がします。

きっかけはこうです。URL(サイトのアドレス)を決める際、他の塾のURLを色々調べてみると、意外なほどに "juku" を "jyuku" と表記している塾が多い。あまりに多いので、ひょっとして「じゅ」は "jyu" と表記するというルールでも出来たのかと心配になり、色々と調べてみることにしたわけです。

まずはローマ字から。
ローマ字と一言に言っても、様々な規格があります。

1.ヘボン(標準)式
2.日本式
3.訓令式

それぞれの詳しい違いには踏み込みませんが、若干表記方法が異なっています。原則として、社会一般で行われているのがヘボン式、学校で教わるのが訓令式と考えておいて間違いないでしょう。

問題になっている「じゅ」の表記を見てみると、下記の通りです。

1.ヘボン(標準)式 "ju"
2.日本式 "zyu"
3.訓令式 "zyu"

少なくとも、ローマ字表記として "jyu" は間違いということになります。

では、英語風の表記としてはどうでしょう。

思うに、日本語で「じゅ」という感じの発音は 、原則として "ju" と表記されているのではないでしょうか。(不正確を承知でカタカナ発音も書いておきます。)

jubilee (ジュビリー:記念祭)
juice (ジュース)
junior (ジューニア)
jury (ジュリ:陪審)

そういえば柔道も正式な表記は "judo" です。

リーダーズ&リーダーズプラスレベルで調べてみても、「じゅ」という感じの発音を "jyu" と表記している語はほとんど無いように思います。(このあたりの調査は結構いいかげんですが...。見落としていたらすみません。)

とすれば、少なくとも現時点では、塾を "jyuku" と表記するのは間違いじゃないでしょうか。

確かに、パソコンで "jyu" と押すと「じゅ」と出てきます。しかし、これは日本語入力として間違いを正すよりも、「じゅ」と出した方がユーザーにとって便利なので、そういう仕様になっているだけなのだと思います。(これが間違いを広めている大きな要素である気もします。)

かく言う当塾も、出入り口の看板を業者さんにお願いした際、"miyatajyuku" と作られてしまったことがあります。すぐに気分よく、当初にお願いした通りの "miyatajuku" に直してくださったので、無問題でしたが。

ちょっとした表記でもなかなか奥が深い、という話でした。

PageTop

漢字の勉強と書体(フォント)


この記事をご覧になっている環境が、Windowsであれ、Macintoshであれ、ブラウザの表示フォント(書体)は、「ゴシック体」または「明朝体」になっていることがほとんどだと思います。以降の内容は、表示フォントが「ゴシック体」または「明朝体」であることを前提として書かれています。表示フォントによっては、意味を成さない記事になっているかもしれません...。

意外に見落としていることが多いんですが、漢字を勉強する際は、「教科書体」を手本にしなければなりません。「ゴシック体」はもちろん、「明朝体」も実際に書く文字と見た目がかなり異なります。

小中学生の場合、教科書や問題集が「教科書体」を採用しているため、大きな問題はないんですが、それ以外の場合は、漢和辞典なども含めて「明朝体」を採用しているものが多く、注意が必要です。

例えば、次の漢字を見て下さい。



明朝体やゴシック体だと、ご覧の通り3画目は2画目の横にくっつきますが、手書きの場合、3画目は2画目の下部にひっつけて書きます。

次にこの漢字(ねずみ)。



臼の部分は6画分ありますが、下の部分は何画だと思いますか?
9画?いえいえ、違います。7画が正解です。カタカナの「レ」のように書くのが正解なんですね。この漢字に至っては、教科書体ですら7画に見えない字体になっており、総画数をチェックしない限り、妙な字を書くことになってしまいます。

書くことを前提として漢字を学習する際は、きちんとした書体でチェックしたいものです。(とは言うものの、よっぽど注意しないと難しいですね...。)

<クイズ>
「沛」という漢字があります。 雨や水の勢いがさかんなことをあらわす漢字ですが、総画数は何画だと思いますか? 8画ではありません。興味のある方は辞書を調べてみて下さい。

PageTop

中学入試 国語の解法・解き方 #1


選択問題の解き方→消去法が基本!

(整理のため記事を再掲しております。)
国語の問題には大きく分けて、記述型と選択型があります。
今日は選択型の解法の基本について。

大学入試だと、センター試験や私大の入試に多いスタイルですが、今回は中学入試について考えてみましょう。(いずれのレベルも根本的なところに大きな違いはありませんが。)

選択問題の基本的な解法は、
間違っている選択肢を削り落としてゆく
という方法(消去法)です。

全ての選択肢をチェックして、間違っている選択肢を落としていった結果、正解の選択肢が残るというわけです。

もちろん、時間がないときは別ですが、原則としてこの解法は崩さない方がよい。

正解が見つかったらそれでいいじゃないか、すべての選択肢を検討するのは時間の無駄じゃないか、と思われるかもしれません。

しかし、国語の場合、選択型問題の正解はかなり相対的なものです。つまり、選択肢アは85%正解、選択肢イは95%正解、というようなケースがしばしばあり、アと解答すると、無情にも間違いということになる訳です。

場合によっては、選択肢の正解度がそれぞれ、30%,40%,50%,60%,70%となっており、正解度70%の選択肢を正答とせざるをえないような問題もあります。いわゆる悪問ですが、受験生としては対処せざるを得ない。

大学受験レベルだと、このあたりが常識的に意識されていると思いますが、中学受験レベルだと、(大人から見て)選択肢の内容がかなり分かりやすくなっているためか、あまり意識されないようです。

しかし、合格点を取る or 合格を確実にするためには、間違い選択肢の検討も必須だと考えます。

────────────────────────

以上、話をかなり単純化しており、実際には正解度を数値化するなんていうことは難しい話です。そもそも正解度という言葉自体、私の造語ですし。ただ、イメージだけでも掴んでもらえれば幸いです。

授業では、選択肢の矛盾点やおかしい点を見抜くトレーニングを徹底的にして、正答率を高める訳ですが、具体的な方法やノウハウは、実際の問題を使って説明するしかありません。

というわけで、ブログでは基本の基本だけの説明に止めておきますが、お役に立てば何よりです。

PageTop

中学入試 国語の解法・解き方 序


中学入試 国語の解法・解き方」というタイトルで、入試国語に関する色々な解法や考え方を、個別的に記事にしてゆきます。

中学入試国語雑感」「入試国語の勉強と「体系」」に記した考えのもと、体系的にまとめるというような事はあえて避け、自分の備忘録も兼ねた、コラム風・メモ風の記事にまとめてゆくつもりです。

そのほとんどの記事は「当たり前」の内容になるかと思います。

「何だ、当たり前の内容だったらわざわざ書く必要ないじゃないか」 そう思われるかもしれません。

そうした方には「当たり前」のことをちゃんと出来るかどうかが、合格・不合格を分けるポイントだと力説したい。大抵の試験は「当たり前」のことを「当たり前」に出来れば余裕で合格します。国語の読解問題でいえば、文章を素直に読み取り、聞かれたことにまっすぐに答える、これだけで余裕の上位合格です。

しかし、国語や勉強に限らず「当たり前」のことを「当たり前」にこなす事がいかに難しいか。(ちょっと、いや、かなり自戒も込めています、ハイ。)

というわけで、「当たり前」と思うような内容でも、ご一読いただければと思います。もちろん、踏み込んだ内容は授業に譲りますので、授業に出ていただくのが一番ですが、いくばくかのお役に立つとは存じます。

なお、しばらくは「中学入試 国語の解法・解き方」というタイトルで書いてゆきますが、高校入試・大学入試現代文の解法の基礎をなす部分だとお考えいただいて差し支えありません。

PageTop

入試国語の勉強と「体系」


中学入試国語雑感」にも書きましたが、もう少し展開してみます。

私自身、高校時代を思い出してみると、特に勉強せずとも、国語の成績はかなり良好でした。(ちょっと自慢。すみません...。)

しかし、何かスッキリした「現代文の解法体系」とでもいうべきものがあるのなら、身に付けておくべきではなかろうか、などと考え、現代文の参考書を何冊か読んでみたわけです。どの本も決して面白いものではなく、砂をかむような思いで読みましたが、結局、得るものはほとんどありませんでした。

では、どんな勉強が入試前に役立ったのか。

それは入試問題または同レベルの類似問題の演習・研究に尽きます。演繹的ではなく帰納的な勉強法とでもいいますか。「こういう問題はこういう風に解く」「こういう問題はこういう解答が評価される」そういう視点から、実戦的に問題を解き、分析し、じっくり考えるわけです。

指導する立場になってからも、難関校を志望する生徒には、上記のような指導をしてきました。実際、大多数の生徒はそれで合格しているわけですから、間違いではないと確信しています。(難関校以外を志望する場合は、また別の指導方針を立てることになります。)

もちろん、当塾における指導が場当たり的で体系がない、というわけではありません。国語については、安易なマニュアル的指導では限界があるため、地道に入試レベルの問題を分析・研究して、個別的に生徒に対応した指導を行うことが必要だ、と言いたいわけです。念のため。

<追記>
今は、指導に役立つことがないかという観点から、国語の問題集や参考書に目を通すわけですが、高校時代とは違って面白く感じます。「これはこう説明した方が分かりやすいんじゃないか?」「ムムッ!この解説は上手いな。」「この出典は面白そうだ、また全文を読んでみよう。」といった感じですね。

PageTop

ある書簡

ホームページを開設して以来、手紙や電話による飛び込み営業の数が増えてきました。

電話はともかく、手紙による営業は、そんなに非常識な感じを受けません。こちらの好きな時間に目を通せば良く、気に入らなければ廃棄すればよいだけですから。アピールのためにはしっかりとした書面を作ることも必要となるため、その会社の本気度を測ることも出来ます。実際、営業を受けて、真剣に検討するまでに至ったことがあるのは、手紙による営業だけです。

しかし、時には妙な書簡もやってきます。

過日やってきたのが、某フランチャイズ塾の加盟勧誘です。ウチとしては何の関係もないんですが、勉強のため文面を確認してみると「講師の採用・研修は本部が責任をもって行います」とありました。

講師は塾の心臓部分だと考えますが、その採用も研修も本部が行うって...。面白すぎです。フランチャイズ加盟塾は塾を単なるハコだと考えろ、ということなんでしょうかね。本部がどんな採用・研修をしているのか、一度拝見したいものです。

さらにこの書簡、指導内容も何も書いておらず、怪しさ倍増なんですが、ひっかかる人(塾)はいるんでしょうか?

ある意味、色々な勉強になって有り難い書簡でした。

PageTop

不思議な営業マン

塾を経営していると、色々な営業担当の人がやってきます。

私の場合、必要なものは自分で調査した後、こちらからアクセスするタイプなので、営業マンが来たところで何の用事もありません。営業の方には悪いんですが、インターホン越しに丁寧にお断りして終了ということになります。

時々あるのが、授業中に直接営業を掛けてくる会社です。講師や生徒の声が聞こえているはずなのに、どういう了見なのか、堂々と面会を申し込んでくる。その時点で、生徒達の邪魔をしているという観念のない非常識な会社であることが判明しているので、即座に追い払うことになります。

営業活動で悪印象を与えてどうするんでしょうか...。俺の商品・サービスは素晴らしいから、授業を止めて話を聞けとでも?不思議な人達です。

宮田塾では、原則として授業中は入口の鍵を閉めています。セキュリティ面から当然のことですが、面倒な営業攻撃を避ける、という意味合いもあります。

もちろん、塾生保護者の方には、しっかり対応いたしますので、ノックまたはインターホンでお呼び下さいね。

PageTop
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。