宮田塾のブログ

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きゃりーぱみゅぱみゅ「きらきらキラー」

先程気付いたんですが、きゃりーぱみゅぱみゅの新曲「きらきらキラー」のPVが発表されていますね。モノトーンを基調にした映像は死後の世界を表現しているようなんですが、蓮のうてなの上で踊るきゃりーは、さながら極楽世界のアイドルのごとし。



私、きゃりーぱみゅぱみゅ&中田ヤスタカというチームの作る曲を高く評価しておりまして、一度コンサートに行ってみたいと思っているんですが、10月にある大阪のアリーナツアーは木曜と金曜。どう考えても仕事で行けない。というか、44歳のおっさんが行ったら浮くような気がしなくもないんですが……(笑)。

今調べてみると、サマソニ大阪に行くという手もあるようですね。ジョイント型のライブ(特に野外の大規模なフェス)はしょーもないものも見ないとならないのが辛いんですが、今回は見たいバンドもいくつか出演予定のようです。特に Kasabian と Ben Watt が見たいなぁ。Vintage TroubleArctic Monkeys が同日だったらいいのに!……って、夏休み期間は多忙で、遊んでいる暇はないんだった。

きゃりーぱみゅぱみゅの曲が音韻論的にいかに優れているかを記事にしようと前から思っているんですが、今日は時間が無いのでまたの機会に。中田ヤスタカ氏って、平安時代や鎌倉時代に生まれていたら、間違い無く、良質な和歌を詠む歌人になっていただろうと思います。




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ジョニ・ミッチェル・ボックス / ピリス・モーツァルト・ピアノソナタ全集

私、音楽好きをもって自任しているんですが、どうも最近CDを買うペースが落ちています。その一因として、CDが安くなりすぎていることもあるんじゃないかと思う次第。

高校生の頃なんかは、レコード&CDがもっと安かったら大量に買って毎日でも新しい音楽に触れられるのに……なんて思っていたんですが、必ずしもそうではありませんでした。

「安い→大量に買う」という風になりそうなんですが、「安い→ついつい10枚組なんかのボックスを買ってしまう→時間が無くて聴ききれない→消化不良感が出て次の作品を買うのが億劫になる」というパターンにはまってしまうんですよね。

大体、10枚組で2000円なんておかしくないですか?いや、安価に入手できるのは嬉しいんですが、行き過ぎじゃないかと。音楽(正確には音源コピー)の価値が暴落しているような気がします。カスのような作品ならともかく、アーティストが精魂傾けて作った超名作が10枚組で2000円。一枚200円って、スナック菓子じゃないんだから……。

ミュージシャンが食べていけない時代になったとよく聞きますが、一音楽ファンとして、何とかして欲しいと思うんですよね(他力本願ですが)。食べていけないと、有能な人が音楽の世界に来てくれなくなってしまう。CDも作ってくれなくなる。長い目で見ると、私のような「聴き専」にとっては、とても困った事態です。

そんなことを考えながら、先日購入したのが下記の2作品。結局、何だかんだと言いながら安価なボックス作品を買ってしまうので、私も同罪なんですが。


Joni Mitchell the Studio Albums 1968-1979Joni Mitchell the Studio Albums 1968-1979
(2012/11/13)
Joni Mitchell


ジョニ・ミッチェル (Joni Mitchell) は何となく聴く機会を逃してきてしまったアーティスト。「Blue」は以前から持っていましたが、あまり親しんでいたとは言えない作品。ボックスは2700円程度でした。

ジョニ・ミッチェルって、すごく頭のいい人だという感じがします。詩的な才能と音楽的才能に溢れていて、文学的な匂いがする女性なんですよね。絵画にも優れているので、本質的には「表現者」というべき人なのかも。私の中では、パティ・スミス(昨年のライブは心から感動しました)、ケイト・ブランシェットみたいな立ち位置。これからじっくり聴く予定。とりあえず「Court And Spark」を聴いて、その格好良さにクラクラ来ました。






Mozart: Complete Piano SonatasMozart: Complete Piano Sonatas
(2012/05/29)
Maria Joao Pires


ピリス (Maria João Pires) のモーツァルトピアノソナタ全集。ピリスは、モツ(我が家ではモーツァルトをそう呼んでいます)のピアノソナタ全集を2度録音しています。1974年と1989〜1990年の2回です。私、モツはあまり好みではないんですが、7〜8年前に手に入れた1989〜1990年録音盤はなぜか異常に気に入り、聴き込みました。今iTunesで調べてみると、どのソナタも80〜100回近く聴いています。そんなわけで、モツのピアノソナタは全部弾けます。もちろん鼻歌で、ですが(笑)。

今回入手したのは、1974年盤。2000円前後で入手。実は今まさにその盤を聴きながらこの記事を書いているんですが、1989年盤と甲乙付けがたい名盤だと思います。5番は1989年盤が好みだけど、6番は1974年盤の方がいいななどと、ピアノのド素人なりに聴くのが楽しい。

個人的な意見ですが、モーツァルトには若々しい演奏が合うと思うんですよね。老成した演奏なんてモーツァルトには似合わない。モーツァルトは若死にしたわけで、若々しさが溢れるキラキラ感こそが身上ではないかと。おっさん・おばはんピアニストはどっかに失せろ、私の美々しい演奏を聴きな!みたいな演奏が丁度良いのではないかと考えるわけです。ピリスの演奏はどちらの盤もそんな感じで、私の好みにピッタリです。



リッピングした後、CD棚に収めたんですが、この一角、妙に濃い。ブログで触れた音盤が妙に集まっているんですよね。

20140623.jpg

マルタ・アルゲリッチのコレクション、ピリスのモーツァルトピアノソナタ全集(1989年盤)、アシュケナージのショパン全集、アシュケナージのラフマニノフ、パティ・スミスのアリスタ・ボックス、ピリオド楽器によるノクターン集、ブラック・キーズのエル・カミノ、ギャビー・パヒヌイ、ソウル・フラワー・ユニオン。

ラフマニノフはほとんど聴いていませんが(笑)、それ以外はかなりお気に入りの作品。アシュケナージのショパン全集以外は、全部激安だったように記憶しており、各ミュージシャンに何となく申し訳ないような気がする一角でもあります。




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家カフェ・夜カフェ

6月も毎日忙しくしておりますが、塾として恐怖すべきは7月・8月。もう目前に迫ってきました。体調をしっかり管理しておかねば。

身体のケアも大切なんですが、勝るとも劣らず重要なのは精神的健康。気分転換がないとね。

そんなわけで、休みの日には時々カフェに出かけるんですが、控えめな白熱灯の照明、スタンダードなジャズ、そして何より禁煙というのが譲れない条件。煙たいカフェで我慢するぐらいなら、餃子の王将でコーヒーを飲む方がまだいい。いや、コーヒーがメニューにないかもしれませんが。

よくコーヒーの原価を考えて、喫茶店なんてもったいないという人がいますが、それは違うと思うんですよね。場所や時間を提供してくれるその対価として考えれば、決して高くはない。テナント料で月◯◯円、ホール1人と厨房1人で人件費は月◯◯円ぐらいかな、光熱費はこの広さだと月◯◯円ぐらいだろうな、一日の来店数は◯◯人ぐらいか、一人あたりの消費額は◯◯円といったところだから……、なんてすぐに考えてしまう私は、商売の家の生まれ。父方も母方も商売の家だったのです。

ただ、最近のコンビニのコーヒー、カフェの恐るべき強敵になってきたような気がします。缶コーヒーは甘すぎて苦手ですが(あれってただの砂糖水ですよね?)、最近のコンビニのコーヒーって、普通のカフェのコーヒーより美味しいんですよね。初めて見たときびっくりしました。機械ですが、一杯一杯豆をひいて淹れてくれる!しかも一杯100円!

調べてみると原価率はありえない高さ(特にアイスコーヒー)。こんなん大赤字ちゃうのん?と、さっきのような算盤をはじいて考えてしまうんですが、そこはコンビニもプロ。集客効果を見越した価格設定なんでしょうね。実際、下記の記事によると、セブンイレブンでは1年強で累計5億杯が売れ、最高益更新に貢献したとの由。すごい。

セブンカフェ1年強で累計5億杯!?「コンビニコーヒ」飲み比べ - NAVER まとめ

てなわけで、我が家では、時々近所のコンビニでコーヒーを買ってきて、「家カフェ」または「夜カフェ」を開催することが増えてきました。上述の、控えめな白熱灯の照明、スタンダードなジャズ、そして禁煙という条件は余裕でクリア。ゴロゴロ寝転がっても良いし、音楽が自分で選べるのもまた良し。時に本を読みながら、時に息子や妻とどうでもいい話をしながらコーヒー・タイム。一人あたり100円也(笑)。

ウチでもやろうかなって?いいですね!では、オススメの曲(アルバム)をご紹介しておきましょう。我が家で何となくよくかけているのは、次のアルバム。あまりにも有名な盤でベタすぎですが……。

Sonny Clark / Cool Struttin'
1曲目の Cool Struttin' から 2曲目の Blue Minor の流れが特に好きなんですよね。実際に街のカフェで流れていることが多い盤です。





Miles Davis / Kind of Blue
ジャズの超有名盤。これも実際に街のカフェで流れているのを聴いたことがあります。



あとは、ビル・エヴァンス、セロニアス・モンクも、家人からの評判がよい気がします。私の好きなジョン・コルトレーン、エリック・ドルフィは不評也(笑)。




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中学入試頻出テーマ「少年少女の精神的成長」— Sigur Ros を介して


たまには勉強の話をば。

中学入試国語を専門的に指導しているとよく分かるんですが、出題される文章群にはかなりの類型性があります。受験界言うところの「頻出テーマ」というやつですね。

例えば、小説分野で言うと、「少年少女の成長」。もちろん「身体的成長」ではなく「精神的成長」の方ですが、中学入試小説問題で考えると、かなりの割合にのぼるのではないかと思います。逆に、いわゆる難関大学の入試では、ほとんど見ない類型なんですけどね。

頻出テーマを分かっているだけで問題が解けるほど中学入試は簡単ではありません。そんなわけで、授業では、実際の入試問題を用いて適用練習することを重視していますが、今日は「少年少女の精神的成長」というやや抽象的なテーマを、映像を借りて(大人向きに)説明してみたいと思います。



さて、取り上げるのは、Sigur Ros (シガー・ロス)のプロモーションビデオ。

シガー・ロスはアイスランドのバンド。アイスランドと言えば、ビョークのような音楽世界を思い起こす人もいるかもしれません。当たらずといえども遠からず。日本に住まう私からすると、アイスランドの冷たく清浄な空を思い起こさせる音楽。ウィキペディアには、「ポストロック・アンビエント・実験音楽・シューゲイザー」とジャンル分けされていますが、どれも頷ける気はします。

音楽の話はさておき、シガー・ロスの「Glósóli」という曲のプロモーションビデオ、上述の「少年少女の精神的成長」というテーマを見事に映像化しています。私、アイスランド語を解さないので、歌詞は全く分かりませんが、それでも映像から十分な情報が伝わってきます。

ご興味のある方は、ビデオを見ながらお読み下さい(ビデオ映像右下「YouTubeボタン」を押すと別ウィンドウでビデオが開きます)。時間の後に示したのは映像の客観的描写。矢印の後に示したのは個人的解釈。

Sigur Ros - Glósóli [Official Music Video]


(0:00) 水辺に一人座る少年。内発的な行進リズムに促されるようにすっくと立ち上がり歩き始める。そのうち、彼の繰り出すリズムに呼応するように、同世代の少年少女が同じ方向へと行進を始める。その数は次第に増えてゆく。


→ 少年の精神的成長は、親世代に促されて成し遂げられるものではない。同世代間の相互影響(他者への意識・励まし合い・諍いなど)のもと、自発的に成し遂げられるものである。

(1:15〜) 少年少女が歩む道は舗装路ではなく、荒野と言ってよい場所。


→ 成長の過程は、決して安楽なものとは言えない。

(1:55〜) キスする少年少女。縄跳びをしていた少女も行進に加わる。


→ 大人へと成長する過程において、恋愛は避けて通れない問題である。子供じみた遊びに興じる者も、大人の世界へと進む魅力に抗うことが出来ない。

(2:28〜) 自動車に放火を試みる少年たち。引火爆発しかねない極めて危険な行為。


→ 成長の過程で、いわゆる非行に走る者も出てくる。極めて危険な行為は、成長の過程で命を落とす者もいることを暗示するか。

(3:00〜) 荒涼たる岩場で睡眠をとる少年少女。無反応な彼ら。完全に真っ暗なシーンが数秒挟まれる。


→ この描写は極めて秀逸。少年少女が大人になる際、心理的な大混乱が生じるが、外見からはそれがわからない。むしろ、周囲の大人に対して無反応な状況を示すことが多い。心理学者の河合隼雄先生は、思春期のこの状況を「さなぎ」に喩える。内部では、幼虫から成虫へと形態を変えるべく猛烈な変化が起こっているはずだが、外部からは何も見えないという共通性。数秒の暗黒シーンは少年期と成年期の断絶を想起させる。

(4:07〜) 真摯な顔。誰も微笑みもしない。遠くを見つめる。リズムは次第に強くなってゆく。ギターの轟音(野外会場で大音響で聞いてみたいですね)と共に、全力で坂を駆け上がる少年少女たち。


→ 自分の行く末をおろそかに思いたい少年少女などいない。許されるのであれば、誰もが真剣に全力で未来を切り開きたいと思う。

(5:15〜) 上り坂の果ては断崖絶壁。勇気を振り絞って飛び立つ。海は広大無辺。まぶしそうな表情。ぎこちない動きで空を飛ぶ。


→ イニシエーション(通過儀礼)を越えて、大人の世界へ。入ったばかりの大人の世界は、自由に満ち、輝く世界に見える。まだまだ世慣れていないが、いつかはこの世界での振る舞い方も分かってくるだろう。

(5:35〜) 見事に飛び立った者たちより、やや幼く見える少年。崖から飛び降りる。


→ この描写のリアルさには感心させられる。皆が皆、無事に精神的成長を遂げるわけではない。幼さ故に、浅はかさ故に、自分とは住む世界が違う者に悪影響を受けたが故に、落命する者もいる。または、社会に飛び立てず子どものまま時間を止めてしまう者もいる。ビデオ中に描かれるわけではないが、この少年は崖下に叩き付けられ、無残な骸をさらすというのが私の解釈。残酷だけれど。

(6:03〜) カメラが徐々に海の彼方を映し出す。少年少女の飛翔する先にはおぼろげながら小さな島が見えてくる。


→ よく分からぬ大人の世界でも、何か目標を定めて進むことはできる。かすかに見える目標。よく分からぬなりに進んでゆけば、その目標は輪郭をはっきりと現し始めるであろう。



いかがでしょうか。私はこのPVを初めて見たときから「少年少女の精神的成長」を表現したものだと確信しているんですが、真相はシガー・ロスのメンバーに聞いてみないと分かりません。

受験勉強のお役に立てば……って、あまり役に立たないか(笑)。



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モノとの付き合い・人との付き合い

ブログを書くときは、いつもデスクトップのコンピュータに向かって書いているんですが、時々ノートPCも悪くないなと思うことがあります。カフェなんかで、MacBookAirをカタカタやっている人をよく見かけますよね。

そう思って、ノートPCを買ったことが数回あります。最初のうちは嬉々として使うんですが、だんだんと使用頻度が落ちてくる。どうしてもデスクトップの方が使いやすいんですよね。特にモニタの大きさの関係で。

現在27インチのモニタを使っていますが、それでも、もう少し大きくならないかな、デュアルモニタにしようかな、なんて思っているぐらいで、どうも小さなモニタで作業するのが向いていないようです。

加えて、データをあっちで作ったりこっちで作ったりすると、どうしても不適切なドッペルゲンガー状態になってしまうのが耐えられません。あの面談資料、どっちのPCで作ったんだっけ?あれ、あっちのPCで途中まで作ってたっけ、という感じ。最近はクラウド・コンピューティングということで、簡単にPC間でデータを共有できますが、デリケートなデータもありますしね。

ノートPCを買ってはすぐに売却するという行為を5回ほど繰り返して学習した、私なりの結論(もっと早く気付け)。

自宅で作業をすることが多い以上、高性能のデスクトップ・コンピュータを使うのが合理的。モニタもメモリもハードディスクも何もかもがノートPCより高性能で快適。ということで、前モデルの MacPro を活用中。

外でデータを調べたり、布団の中で読書したりする場合は、モバイル機器が便利。モバイル機器でデータを作成することは原則としてしない。あくまでもデータ閲覧用とする。こちらについては、iPhone と iPad を活用中。

で、最近はモバイル機器の使い分けにちょっと悩んでいるところ。iPhone と iPad は原則として同じアプリケーションが使えますので、どうしても用途が被ってくるんですよね。一応、読書をしたり映画を見たりするのは iPad、細々したデータ利用は iPhone、ということで落ち着いてはいるんですが……。

あまり認めたくはないんですが、どうやら不器用な性格らしく、たくさんのモノを使い分けるのに向いていないっぽい。
( iWatch や、GoogleGlass が発売されれば買う気満々なんですが、どうなることやら。)

バイクについても、あれいいよな、これも乗りたいよな、ああいうスタイルのも一台欲しいな、大金持ちだったら10台ぐらい車庫に並べて、専属メカニックを雇うんだけどな……、なんて馬鹿な空想にひたる事がありますが、結局は気に入ったバイクせいぜい1〜2台にしか乗らなくなることが容易に想像出来ます。そもそも、時間は有限ですしね。

人付き合いや、女性との交際なんかについても、そういう性格は出るのかもしれません。顔を売って人脈を広げまくるなんていうのはどうも面倒です。自然にできてくる人付き合いでないと、意味がない。

多数の女性と同時に付き合って遊び回っている男性も時々いますが、ある意味尊敬します。月曜日は◯◯子ちゃん、火曜日は△△美ちゃん、水曜日は□□子ちゃん、なんていうのは、少しうらやま……じゃなかった、やっぱりどこかで破綻すると思うんですよね。バレなくても、経済的状況が許しても。

結局は、よく吟味して気に入った少数のモノ・人と付き合っていくというのが、私に合ったスタイルのようです。




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宮田国語塾2014年度夏期講習について


先月末頃から、当塾の夏期講習についてのお問い合わせが増えてきております。まことに有り難いことではあるんですが、2014年度(平成26年度)につきましては、宮田国語塾・完全少人数制宮田塾、いずれにつきましても外部生向けの夏期講習は実施致しません。申し訳ございません。

以下はちょっと言い訳……。

昨年度まで、宮田国語塾については受験生向けの夏期講習を実施していたんですが、夏期は在塾生の指導に忙殺されることに加え、教室の都合を付けることが非常に難しいという事情があります。その上で授業の準備をし、おいでになる生徒さんや保護者様と面談の機会を設け(当塾の場合、短期在籍の方でも小1時間の面談をしています)、授業本体の時間を帯で取るというのは、本当に困難になっています。

そんなわけで、本年度より、原則として外部生の夏期講習はお受けしないこととした次第です。悪しからずご了承下さいませ。その分、在塾生の指導を手厚くしてゆきたいと考えております。



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Survivors' banquet

最近、小学生の頃の同級生N君が、同窓会を企画してくれています。とても有り難く思い、同窓会を楽しみにしているんですが、当時の担任の先生は逝去なさったとの由。私も44歳なので、教わった先生がお亡くなりになってもおかしな話ではないんですが、やはり寂しい気持ちがするのは否めません。

そんなこともあって、学生時代の同期のことを時々考えることがあります。全員のことを知っているわけではありませんが、高校時代の同期は既に何名か鬼籍に入っています。高校在学中に2名が、卒業後数年間の間でも数名が鬼籍に。私の知らないところで亡くなっている人もいるでしょうから、その数はもっと多いのかもしれません。

先日も、妻(高校の同期なのです)の友人から、同期生の死を聞きました。19歳・20歳の死ではありませんが、やはり早すぎることに違いはありません。本人の無念や、残されたお子さんの悲しさは察するに余りあります。そして、今、子を持つ親となって何より強く思うのは、子を失われた親御さんの悲痛です。



「死」というのは究極の平等です。どんなに強大な権力を握った人も死ななかった人はいない。どんなに財を蓄えた人も死ななかった人はいない。それはある意味、素晴らしい事だと思います。

私が昔から大好きな言葉は、「memento mori」。何か乙女チックな花言葉みたいですが、「死を忘るるなかれ」というラテン語の有名な格言です。

いつかは自分にも死が訪れる。そのことを頭ではなく、身体全体で悟ることが、命を充実させると思うのです。

吉田兼好も言います。「死期は序を待たず。死は、前よりしも来らず。かねて後に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。」(徒然草155段)

「死期には順序なんてないし、前から来るわけでもないんだよ、後ろからヒタヒタと迫って来ているんだよ」ということですが、徒然草中、これほど心に迫る段はありません。

いずれにせよ、生き残っている私達は、この世という宴を、残された宴を、真剣に楽しまねばならないと考えています。




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映画『世界の果ての通学路』

前記事にも少し書きましたが、映画『世界の果ての通学路』を見てきました。

『世界の果ての通学路』予告編


『世界の果ての通学路』は、自宅から遠く離れた学校へと通学する子ども達を取り上げたフランス製ドキュメンタリー映画。主に描かれるのは彼ら・彼女らの「通学風景」なんですが、この通学路が日本人の想像を超えています。小学3年生〜中学1年生ぐらいの子どもが通学するには、あり得ないほど苛酷な通学路なんです。エクストリーム通学路。

「通学」ということは、当たり前ですが、定期的に通わねばならない道であること、往復が必要な道であることを意味します。一日だけ、片道だけではありません。大人でも大変なこの道を、年端もゆかぬ子どもが一生懸命に進んでいく。もう、それだけで尊いではないですか。

映画は、4組の通学風景が交錯するように進むんですが、どの子の通学路も困難を極めます。ケニアのジャクソン兄妹は、家から学校までの距離15km(ということは往復30km)。交通機関があるわけではありません。舗装路を行くわけでもありません。気性の荒そうな象のいるサバンナを、半ば命懸けで走り抜けねばなりません。

アルゼンチンのカルロス兄妹は片道18kmの通学路。巧みに馬を操り、妹と二人乗りで学校に通います。感心したのは、状態の悪い砂の斜面でも、スイスイ乗りこなすカルロス君の乗馬テク。絶対に優れたガウチョになるだろう、というか今でも即戦力ですね。

モロッコのザヒラは、片道22km。同学年の女子3人で通っているんですが、周りの大人が結構冷淡なのが印象的でした。女性に教育は不要だというような考えが成人男性にあるのかもしれません。

インドのサミュエルは、足に障害があるため、自分一人では4km先の学校に通えません。助けてくれるのは弟二人。どう贔屓目に見ても乗り心地が良いとは思えない車いすを、弟二人が一生懸命押してゆきます。出発の時から、ホイールがガタついていてヒヤヒヤさせられたんですが、案の定道中でタイヤが外れてしまいます。大丈夫かな……と一番心配になったグループ。

映画「世界の果ての通学路」公式サイト 4人の物語



通学路の困難にめげない強さは感動的です。でも、私が本当に胸打たれたのは、どの子も、勉強を大切なものだと心から信じ、自らを向上させようとする気持ちに溢れていた点。

未来を信じる。自分を信じる。努力という価値を信じる。自らを向上させることに高い価値があると信じる。困難な通学路に耐え抜く姿に、そうした姿勢が現れているからこそ、世界中の人々が感動するのだろうと思います。

学ぶことは尊い。向上しようと願い、そのために努力することは尊い。尊いという言葉が堅苦しいというなら、美しいといっても良い。学ぶことは美。職業柄かもしれませんが、心からそう信じています。そんな私にとって、この『世界の果ての通学路』という映画は、とても美しく思える映画でした。

映画では、どの家庭の保護者も、子どもが学ぶことに高い価値を置いていたのが印象的だったんですが、それも私が共感を覚えた点。個人的な意見ですが、親が自分の子に残してやれる、かつ、残すべきものといえば、無形の財産=知恵・知識・教育ぐらいしかありません。有形の財産は使えば終わり、なくせば終わり。場合によっては子を害することすらあります(お金に恵まれたが故にどうしようもなく怠惰な人間になる等)。知恵や教育はなくならない、奪われえない。



ケニアのジャクソン君が夢を語るシーンもすごく良いんですよね、知的な光の宿った目で「できればパイロットになりたい、世界中を空から見てみたいんだ!」と言うシーンでは、思わず「君やったら絶対になれる!頑張りや、おっちゃんも陰ながら応援してるで!」と関西弁で応じました(もちろん心の中で、ですけれど)。

インドのサミュエル君の弟二人にも感動。足の悪い(しかも弟には結構偉そうな)兄貴のサポートをしているのに、恩着せがましくなるわけでもなく、自然体でキャッキャと車いすを進める二人。健気で無邪気で、思わず目頭が熱くなりました。

塾を運営しているため、映画に出てくるような年齢の子ども達とはつきあいが多い上に、我が息子も同世代。感情移入するなという方が無理なんですが、それを差し引いても、とても良い作品です。私、44歳のおっさんですが、彼ら・彼女らの姿勢を見習わねば、という気持ちで映画館を後にしました。

何か向学心に燃えるためのモチベーションが欲しいと思っている大人こそ、見るべき映画なのかもしれません。

映画「世界の果ての通学路」公式サイト



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6月最初の日曜日

ああ、もう今年も6月ですね。ブログに書きたい話は無数にあるんですが、忙しくてなかなか時間が取れません。どなたが見て下さっているのか、書いている私もよく分からないんですが、有り難いことだと感謝しております。頂いたままになっている「合格者からのメッセージ」も早く記事にしないと……。

と言いつつも、今日は映画『世界の果ての通学路』の話。

先の日曜日。久々に仕事や雑用が入っておらず、完全に自由な一日になっていたので、早朝はバイクに乗って日本海あたりに出かけ、昼からは息子と遊ぶ、という予定を立てていました。全く束縛のない日曜日って久しぶりだな、嬉しいな、楽しいな、えへへ。

バイクを点検に出していたので、バイク店に電話してみると「宮田さん、すいません、部品がまだ入荷していなくて整備が上がっていないんですよ、もう少し待って下さい」との由。ガガ〜ン、日曜日に乗れない……。代車でヤマハのセロー(225ccのオフロードバイク)を貸して下さっていたので、それに乗っても良かったんですが、何となく気乗りがしない。

ならば朝から息子と出かけることにしようかと、息子に予定を尋ねると、「ごめん、パパ、その日は朝からママと実家に行くことになってるよ。夕方からだったら遊べるけど。」妻の実家について行ってもいいんですが、義父義母も息子と遊びたいでしょうし……。

私「じゃあ、夕方からは遊ぼうな、絶対やで、絶対に約束やで……。夕方からはパパと遊ぼうな、約束やで……。」
息子「わ、わかったよ。」

どっちが子どもか分かりません。

ということで、一気に寂しい日曜日に。グスン。いいよいいよ、一人で映画にでも行くから。その日は、映画が1100円で見られる「映画の日」なのでした。

上映中の映画をウェブで調べてみても、あまり食指が動くものがありません。で、単館系の映画館でふと見つけた映画が、『世界の果ての通学路 (On The Way To School)』。

この映画のことを全然知らなかったんですが、予告編を見てとても気になり始めました。15km、20kmといった遠路をものともせず通学する子ども達を捉えた、フランス製作のドキュメンタリー映画です。登場する子どもたちは、小学3年生〜中学1年生ぐらい。職業柄つきあいの多い年齢層ということもあり、何となく親近感を覚えます。

そんなわけで、日曜日の午前、シネ・リーブル梅田に足を運びました。梅田グランフロント(ホントに立派な街になりましたよね)から、地下道を通って梅田スカイビルへ。観光に来た外国人にやたら人気のあるらしいスカイビルの中に、シネ・リーブルはあります。

アレハンドロ・ホドロフスキーの新作(!)『リアリティのダンス』のポスターが貼ってあったんですが、これは驚異だなと。また来月見に来よう。言うべきことが膨大にある気がする一方で、何も語り得ないような気もする不思議な映画監督、それがホドロフスキー。

時間が無くなったので、映画『世界の果ての通学路』の話は、次の機会とお預かり。

映画『世界の果ての通学路』:国語塾・宮田塾のブログ





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