宮田塾のブログ

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2015年度のスタート

当塾の2014年度授業も本日(2015.01.31)をもって終了です。宮田国語塾も完全少人数制宮田塾も、2月からは2015年度の新規授業がスタート。私達にとっては、ある意味、この時期こそが「お正月」ですね。

2014年度は本当にてんてこ舞いの一年でしたが、2015年度はどうなることやら。例年同様、塾生の学力向上・合格のためにできる限りのことをしていく所存です。

ここしばらくは来る日も来る日も体験授業を実施していたんですが、お忙しい中、遠路はるばるおいで下さった方々に感謝致しております。そして、ご入塾下さった方々には更なる感謝。お役に立てるよう、気持ちを引き締めて頑張りたいと思います。

そうそう、合格された方々のデータを整理するとともに、いただいた合格者メッセージの方も、またご紹介させて頂きたいと考えています。メッセージを下さった方には、心より感謝申し上げます。

先日もホロッと来るようなメッセージをいただき、「本当にこの仕事をしていて良かった」と感じました。そうした方々には足を向けて寝られません。Aさんは当塾から見て東の方にお住まいだったな、Bさんは西の方、Cさんは南の方、Dさんは北の方……って、私はどこに足を向けて寝ればいいんですかい?

羽海野チカさんが、読者や編集者への感謝で、どこにも足を向けて寝ることができなくなり、逆しゃちほこみたいな格好で天に足を向けて寝ている姿を描いていましたが(もちろん冗談だと思いますが)、全く同じ気持ちです。

さあ、2015年度も頑張って行きますか!




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入試には魔物が棲んでいる


引き続き合格のご報告を頂いています。大阪星光学院中、東大寺学園中、四天王寺中、清風南海中、大阪桐蔭中など。合格した皆さん、おめでとうございます。

例年伺うのが、「国語で助かった」「国語で受かった」というお話。そうおっしゃって下さると、私としても本当に嬉しくなります。もちろん、お世辞で言って下さっていることもあるのは百も承知ですが、実際に点数を知らせていただくと、確かに「国語で首の皮が繋がった」なんていう合格者がいるのも事実。

難度の高い入試になればなるほど、全科目における高い到達度が必要になります。特に中学入試などは3科目(国語・算数・理科)で受験する人も多いわけで、さらにその傾向は強まります。

「算数が出来るから国語はそれなりでも何とかなる」「いつも国語が好調だから算数はそれなりでも大丈夫だろう」という考えは、こと難関中学入試においては成り立ちません。全科目、高いレベルに到達することを目標とせねばなりません。

その上での入試本番となるわけですが、入試には魔物が棲んでいます。「あんなに得意だった算数で大きなミスを犯してしまった」「理科はいつも成績上位者に入っていたのに、勘違いして大失点してしまった」そんな話は掃いて捨てるほどあります。

そんな時に、受験生が今まで積んできたトレーニングの真価が問われるのだと思います。質の高いトレーニングを黙々と積んできた人。目先にとらわれず合格だけを目標に頑張ってきた人。そんな人が一科目のミスを他科目でカバーし、何とか栄冠を手にする。

この仕事を長年しているので、そんなケースを何度も見てきました。と言うより、毎年のように見ているといった方が正確でしょう。

「国語であと数点あれば合格していたのに」「国語さえ失敗しなければ受かっていたのに」そんな結果に終わらせないよう、来期も質の高い入試国語トレーニングを提供してゆきたいと思います。



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合格の報をいただき始めました


そろそろ合格のご報告をいただき始めました。合格、本当におめでとうございます。私もとても嬉しく思います。大阪女学院中、神戸女学院中、帝塚山中などの合格の報を伺っていますが、またいずれ集計して、このブログやウェブサイトでご紹介したいと思います。

センター試験を受けてきた人からも、報告を受けていますが、やっぱり立派な成績です。総得点率9割近辺ということなので、二次試験の方もその勢いで頑張って頂ければと思います。

昨日は、小学低学年の頃、完全少人数制宮田塾の方に通ってくれていた某君がひょっこりと顔を出してくれました。こちらもまたセンター試験総得点率9割近辺との由。みんなすごいなあ。彼もまた難関国立大志望とのことなんですが、模試判定もAで揃えているとのことで、頼もしい限り。

少し早い春の到来、塾としても本当に嬉しい気持ちでいっぱいです。合格を待つ他の塾生にも春が到来しますように。



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2015年入試前日

今日でようやく入試直前対策授業も終了。この2か月間は例年以上に大変でしたが、なんとか乗り切ることができました。明日からは、ご予約いただいている方々の体験授業の方に頭を切り替えて頑張っていこうと思います。

私から受験生へのメッセージも記しておきます。



ハードな受験勉強、本当にご苦労様でした。入試直前まで、過去問や演習問題を使って、ひたすらに読解練習と答案作成練習を行ってきましたが、皆さんのような質・量で国語の勉強をしてきた人は、ほとんどいないはずです。

私が言うのもなんですが、皆さんは他の受験生に対して、大きなアドバンテージ(優位性)を持っています。実際、当塾で勉強し始めた頃の偏差値・合格可能性と、今の偏差値・合格可能性の差がそれを物語っています。

受験勉強中は謙虚であるべきです。皆さんも「私はまだまだだ」「僕はもっと頑張らねば」と考えてくれていたと思います。でも、入試当日だけは心を入れ替えてください。

「私は周りに並んでいる受験生よりはるかに出来がいい!」「今日は点数を取りまくるぞ、濡れ手で粟だ!」「俺にとっては合格なんて目じゃない、上位3パーセントで合格するかどうかの闘いだ!首席合格もありえるぞ!」

ちょっと厚かましい?いえいえ、そんなことはありません。私も試験当日だけはそう思ってきましたし、皆さんにもその資格は十分すぎるほどあります。だって、あんなに頑張ってきたじゃないですか。

この仕事をしていると、受験生から「自信を持つにはどうすればいいのか」と聞かれることがあります。答えは簡単です。精一杯頑張ることです。それ以外にはありません。「僕はあんなに頑張ってきた」「私は人の倍ぐらい勉強した」その事実だけが、自信を生んでくれます。

皆さんはそれだけの努力を重ねてきました。自信をもって入試に立ち向かってきて下さい。

心から応援しています。




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ミランダ・ジュライ(Miranda July)『いちばんここに似合う人』


ミランダ・ジュライ(Miranda July)の事が少し前から気になっていました。

面白そうな小説を書く人だと思って、Amazonの欲しいものリストに放り込んだまま数ヶ月が経過。昨年末、難波の書店でウロウロしていた際、店員お薦めの書籍として『いちばんここに似合う人』(No One Belongs Here More Than You) がプッシュされているのを見かけて思わず購入しました。


いちばんここに似合う人 (新潮クレスト・ブックス)いちばんここに似合う人 (新潮クレスト・ブックス)
(2010/08/31)
ミランダ・ジュライ



数日前に読み始めて、先程読み終わったんですが、これ、ブログに書けないですね(笑)。個人的にはとても楽しめたんですが、ほとんどの物語(短編集なのです)が、性的な事件を介して主人公の心情を描くスタイルなんです。

んじゃ書くなよ、と言われそうなんですが、着想だけでもご紹介しようかと思う次第。

Amazonの紹介文を引用します。

水が一滴もない土地で、老人たちに洗面器一つで水泳を教えようとする娘(「水泳チーム」)。英国のウィリアム王子をめぐる妄想で頭がはちきれそうな中年女(「マジェスティ」)。会ったこともない友人の妹に、本気で恋焦がれる老人(「妹」)―。孤独な魂たちが束の間放つ生の火花を、切なく鮮やかに写し取る、16の物語。


ね、読んでみたくなりませんか?

どの短篇も主人公は孤独をひきずる人ばかり。精神を病んでいるというような深刻さはないんですが、どうも社会との関係がうまく保てていない、不器用かつどんくさい人たちです。

その人達が、妙な性的ファンタジーに翻弄されたり、無用な男女間のトラブルに巻き込まれたりするんですが、描写にはどことなく醒めた感じがあります。性的な事柄を描いても、ミランダの筆はウエットになりません。いつもドライな感覚を持っています。主人公と筆者の距離が近いように見せかけて、じつはかなり遠くから客観視していると言いましょうか。

ミランダは、そもそも音楽活動をしたり、映画を撮ったり(国際映画祭で賞を獲得している)という人なので、描写が映像的だということも言えるでしょう。ただ、この『いちばんここに似合う人』は、映像化されたら確実に18禁。いくつかは絶対に見たくないような映像になりそう。おじさん同士が……って、吐きそうです(笑)。小説の方がいいかな。

塾ブログという性質上、どの話も肝要な部分が紹介できなくてとても申し訳ないんですけれど、気になる方はどうぞ。

<追記>
彼女のTwitterを調べてみると、新作が数日前に出たばかりのようですね。『The First Badman』。また翻訳されたら読んでみよう。




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カフェで勉強 Coffitivity

この時期は祝日も休めません。先の成人の日も、授業や授業準備で忙しい一日でした。でも本当に忙しいのは受験生。入試本番も間近ですが、あと一息頑張って欲しいと思います。

夜は少し時間的余裕があったので、久々にカフェに。おっ、今日はコルトレーンが流れています。私は少し読書をしてから勉強。今年は自分の勉強にも少し時間を割きたいと思っているんですが、どうなることやら。勉強したいことは山ほどあるのに、時間は限られています。「少年易老学難成」いやいや、「中年易老学難成」ですね(笑)。同行した息子も一緒に計算練習。

勉強に集中しようとする場合、完全な無音状態よりも、ある程度の雑音があったほうが良いという説があります。確かに、小さな音でジャズが流れているカフェだと集中しやすい気がします。特に暗記系の単純作業なんかは捗りやすい。ものすごく難解な問題に取り組む場合は静音状態の方が良い気もしますので、場合によりけりなんでしょうが。

カフェに行けない日は「Coffitivity」なんてちょっと楽しいアプリケーションがあります。カフェの軽い喧噪を再現してくれるアプリなんですが、悪くありません。私はiPhoneにもiPadにもインストールしています。あとは珈琲の香りもあればいいんですが、これはさすがにアプリでは無理。

ウェブでも利用できますので、お試しを。
(音声が出ます。ご注意下さい。)

coffitivity https://coffitivity.com




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宮田国語塾 2015年度塾生募集


ずいぶん遅くなりましたが、宮田国語塾の2015年度(平成27年度)塾生募集に関するご案内をさせていただきます。詳しくは当塾ウェブサイトをご覧いただければ幸いです。

 宮田国語塾 http://kokugoschool.com

募集対象は、難関中学を目指す中学受験生(小学5年生・6年生) のみとなります。2015年度については、大学受験生クラス および 小論文専門クラスの開講の予定はございません。いずれのクラスも、開講は2015年2月となります。

空席は僅かとなっております。当方の都合上、告知がずいぶん遅れてしまったことをお詫び申し上げます。

ご入塾をお考えの方には 無料体験授業・面談 を個別的に実施致しておりますので、お気軽にご相談下さいませ。

なお、4年生までの小学生や、中学受験のご予定がない小学生については、完全少人数制宮田塾のご受講をお薦め致します。こちらにつきましては、幾分かの空席がございます。曜日・時間帯によっては満席のクラスもございますので、ご興味をお持ちの方は、お問い合わせ下されば幸いです。



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Africa Stop Ebola

今さっき知ったんですが、西アフリカのミュージシャンが「エボラ出血熱」と闘うために、こんな曲を作っていたんですね。この記事を書いている時点(2015.01.10)で再生回数50万弱なので、世界的にあまり知られていないのかもしれません。

Africa Stop Ebola - Tiken Jah Fakoly, Amadou & Mariam, Salif Keita, Oumou Sangare and others.


最近のアフリカ音楽には疎いので、知らないミュージシャンが多いんですが、別格中の別格、カリスマの中のカリスマ、サリフ・ケイタ(Salif Keita,マリ出身のミュージシャン)が参加しているのを知って、速攻でiTunesStoreにて購入しました。というか、サリフ・ケイタの曲を久々に聴きたくなってYouTubeをうろうろしていた際に、このプロジェクトを知ったんですけどね。

英語の翻訳を見てみると、歌われているのは驚くほど基本的なことです。「医者を信じろ」とか「患者に触れるな」とか「他人と握手するのを避けろ」とか。そのレベルの知識も無い人々が、感染を広げてしまったことに対する危機感から、啓蒙的な内容になっているんだろうと思います。

あと、西アフリカの色々な言語で歌われているのも、啓蒙を意識しているんだろうと思います。西アフリカには旧宗主国をフランスとする国が多いので、フランス語も使われていますが、調べてみると、他に Malinké、Kissi、Bambara、Lingala、Soussou などの言語でも歌われているようです。おそらく、西アフリカのどんな人にも理解できるようにとの思いからでしょう。

すごくキャッチーな曲で、啓蒙という目的に沿っていると思うんですよね。もっとアフリカで広がればいいのに。どのミュージシャンも実力派ですが、やっぱりサリフの鋼のような声は何時聴いても素晴らしい(2:00頃〜)。モリ・カンテ(Mory Kante)の声も好きだな。マリの Oumou Sangaré という歌手はこの曲で初めて知りましたが、もう少し掘り下げてみたい歌手。

ともあれ、エボラ禍が早く終結することを願っています。




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辞書の匂いと『ジーニアス英和辞典(第5版)』

小さな頃から辞書が好きで好きでたまりません。分厚い本にギッシリと細かい字が埋められているのを見るのが好きなんだと思います。辞書は限られたスペースに大量の情報を収録する必要上、小説なんかと違って、ギチギチに字が詰めらていますよね。それが堪らなくいい。ギチギチに字が埋められていればいるほど嬉しくなる私は、多分文字フェチ(笑)。

辞書の中でも好きなのはやっぱり、国語辞典と英語関連の辞典(英和、和英、英英)。国語辞典は『日本国語大辞典』を購入して以来、新しいものを購入する熱意が薄れているんですが(だって全14巻という究極の国語辞典ですし)、英語の辞書はいくらでも欲しくなってしまいます。一応究極の英語辞書『Oxford English Dictionary』(OED)の電子データは持っているんですけどね。

最近買った紙ベース辞書の中でお気に入りは、『ジーニアス英和辞典(第5版)』。第4版は持っていましたが、どうも馴染めなかったんですよね。


ジーニアス英和辞典 第5版ジーニアス英和辞典 第5版
(2014/12/18)
南出 康世


遅ればせながら『ジーニアス英和辞典』の新版が出たことに気づいたのは、昨年12月の後半(2014.12.18発売)。うおおお!ジーニアスレベルの辞書になると、もう中身を確かめるまでもなく購入決定なんですが、幸い休みに入っていたので、アマゾンに頼らず書店に駆けつけて購入しました。一刻も早く手にしたいですしね。うん、手触りもいい、字組もいい。そして何より紙の匂いがいい!

私のような辞書フェチにとって、匂いはとても大切な要素。私が特に「萌え」なのは、三省堂と研究社の辞書紙の香りなんですが、今回のジーニアス英和はとてもいい匂い。大修館書店もなかなかやるじゃないか!嗅いでいるだけで賢くなれそうな、素晴らしい香りです。

息子に買ってきた辞書を見せびらかしながら、匂いを嗅がせましたが、「全然いい匂いとちがうやん」と言われました。わかってねーな。って、わかってくれる人の方が少ないんですけれど(笑)。

「学習者にとっての辞書の匂いの重要性」について述べている学者は、私の知る限りただ一人。東大で英語を教えていらっしゃる斎藤兆史先生だけです。私なんかは、その文章を読んだだけで、素晴らしい英語教育者にちがいないと思ってしまいます。

で、肝心の内容なんですが、まだ評価できるほど使っていないので、何とも……。ただ、パラパラとめくって拾い読みしてみたところ、第4版よりもかなり使いやすくなっていることは間違いありません。

最近は、iPhoneやiPadで辞書を引いてしまうことも多いんですが、やっぱり紙の辞書も捨てがたい。しばらくは、この『ジーニアス英和辞典 第5版』と『オーレックス英和辞典 第2版』が紙ベース英和辞典の主力になりそうです。

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『井関隆子日記』(センター試験1999年出題)に思うこと


少し古いセンター試験の古文問題の話。

平成11年(1999年)は、『井関隆子日記』からの出題だったんですが、これがなかなか面白い。授業ではないので、解き方や細かい解釈はさておき、興味深い部分をご紹介します。なお、訳は私の方で付けておきますが、ブログ向きに意訳している部分があるのでご注意を。

まずリード文に、「江戸時代後期に生きた武家の女性が書いた日記の一節である」ということが示された上で、隆子が亡夫の17回忌にまつわるあれこれを差配しているところから問題文は始まっています。そこから、亡夫が亡くなった際の回想へと話は移るんですが、病を得た夫はこう言います。

かくてはえ生くべくもあらず、いかにかせまし、とて憂ひ嘆かれしを、かたへに聞く心地、え堪へがたかりしが、(中略) いかがはかけとどめむ。


「こうなっては生きることはできないだろう、どうすればいいのか……」と言って夫が悲しみ嘆かれるのを、傍らで聞くのは、耐えがたい気持ちであったけれど、(中略) どうして生きながらえさせてあげられようか。

家族が病を得て、もう手の施しようがないとなった時、残される家族はどんな気持ちになるのか。私には経験があるので分かりますが、井関隆子の日記は、本当に、愛した人を喪ったことのある経験を持つ人にしか書けない文章です。文章全体にあらわれる、隆子の夫への愛情が胸を打ちます。

そして話は「悟り」への批判へと展開します。

あり果てぬ世にはあれども今はとて命惜しみし人しかなしも

かかるぞ人の真心にはありける。契沖とかいへりし法師の言ひしごと、今はの際にいたりて悟りがましき事言ふ人は、人のまことならずと言へる、さもあることなりかし。

ふたたびとあはぬこの世を惜し気なくさかしら言ふは人のまことか


(和歌) 永遠に生き続けることのできるこの世ではないけれど、今はもう最期だと命を惜しんだ夫のことを思い出すと、切なくてならない。

こうして命を惜しむのが人間の真実である。契沖とかいった僧が言ったように、最期におよんで悟りっぽいことを言う人は、人間の真実からかけ離れている。本当にそう思う。

(和歌) 死んでしまえば二度と会えないこの世なのに、惜しげも無く、悟ったふうなことを言うのは、人間としておかしいだろう!

ここで出てくる「契沖」は、前回ご紹介した私の敬愛する契沖先生です。お寺の住職をなさっていたけれど、悟りがましいことなんて言わなかったのが、契沖先生らしくてとてもいい。自分が死にゆくとき、人が死んでゆくとき、平然としていることが仏の教えなら、そんなのいらねえよとでも考えていらっしゃったのだろうと思います。

最後は「悟り」への痛烈な批判。

おほかた、悟りてふものは詞のうへのみにて、まことにしか思ひきはめたる人なむなかめる。それもしまことにあらむには、その生まれいと愚かにして足らはず、父母妻子をもかなしとも思ひたらず、世の中のさまももののあはれもえ知らぬ痴れ者にて、とり所なき人なるべし。


そもそも、悟りなんていうのは言葉の遊びみたいなもので、本当にそう思い決めている人なんていないだろう。もし本当にそう思っている人がいるなら、それは生まれつきちょっと頭の足りない人だ。家族を愛しいと思っておらず、世の中の様子も、もののあわれも分からない馬鹿者で、取り柄のない人だろう。

とても辛辣ですね(笑)。でも、私もそう思います。人間に悟りなんて開けるわけがありません。悟りを開いた人なんて言うのは、ほとんどの場合、商売の都合上そう言っているだけ。凡夫は叫んだり喚いたり、泣いたり笑ったり、愛したり苦しんだりして生きてゆくしかない。そして、それでいいんだと思います。

170年前の女性の書いた文章ですが、「あなたの言いたいことは本当によく分かりますよ」と、傍らで相づちを打ちたい気持ちになる文章です。


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年末年始の読書


最近読んだ・読み始めた書籍の中で、とても面白いと思ったものをご紹介。

松浦寿輝『川の光2 - タミーを救え!』


川の光2 - タミーを救え!川の光2 - タミーを救え!
(2014/02/24)
松浦 寿輝



もうこれは何と言ったらいいのか、とにかく楽しい物語でした。老若男女にオススメです。物語世界にどっぷりと浸り、終わるのが寂しくて寂しくて仕方がない気持ちになる小説。またちゃんとした記事にする予定なんですが、町で薄汚れた犬を見ると「マクダフ!」と心の中で呼び、郊外で空を舞う鷹を見ると「キッド!」と叫んでしまう、そんな小説です(読めば分かります)。

久松潜一『契沖』


契沖 (人物叢書)契沖 (人物叢書)
(1989/07)
久松 潜一



大家の筆による僧契沖伝。契沖先生は『万葉代匠記』で有名な国学者(の草分け)ですが、実は当塾のすぐ近所にお住まいだった方です。老いを養われた「円珠庵」は当塾から700m。元禄時代の学者ですから、時は遠く離れていますが。

この上なく尊敬しているので、契沖と呼び捨てにする気にはなれません。「契沖先生」と(勝手に)お慕い申している次第。もし今ご存命なら、間違い無く弟子入りを志願していると思います。なかなか首を縦に振って下さりそうにはないんですが、そこをなんとか。月に一度でも半年に一度でもいいので、万葉集を講じて下さい、束脩ならいくらでも惜しくはございません、お願い致します!と、上記の本を読みながらずっと思っていました。契沖先生の話もまたそのうちに。

ロバート・セントジョン『ヘブライ語の父 ベン・イェフダー』


ヘブライ語の父ベン・イェフダーヘブライ語の父ベン・イェフダー
(2000/09)
ロバート セントジョン



今ちょうど読んでいる最中。最初からグイグイ引き込まれます。ノン・フィクションですが、どんな物語よりも魅力的。

今はイスラエルの公用語となっている「ヘブライ語」。しかし、以前は儀式や祈禱に使われるだけの眠れる言語でした。そのヘブライ語を2000年の時を経て再生し、日常語として復活させた男がいます。その名は、エリエゼル・ベン・イェフダー。「言葉」への恐ろしいまでの執念と苦難の道のりは、ある意味、美しさに満ちています。個人的には、畏れと敬意を抱きながら読み進めています。

こちらの本もまた別の記事にするつもりなんですが、ベン・イェフダー、とにかく風貌がいい。私は彼に、上記の契沖先生と同じ匂いを感じます。我が師として仰ぎたい人物、教えを乞いたい人物。お二人とも、何か私の胸に迫ってくるものを持っています。

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執筆活動中のベン・イェフダー。

山本茂『神童』


神童神童
(1996/02)
山本 茂



これは切ない物語でした。こちらもノン・フィクションですが、どんな物語よりも哀切極まりない話。幼い頃からプロの道を歩み、将来を嘱望された天才バイオリニスト渡辺茂夫が、16歳で自らの命を絶つ(そしてそれは失敗に終わり以降白昼夢を生きる人となってしまう)までのストーリーです。

有り余るほどの才能は誰にもひけを取りませんし、留学先の米国の人々も冷淡なわけではないし……。どうして、どうして……。

個人的な考えですが、幼い頃に親元を離れて留学することは、極めて危険性の高い行為だと思うんですよね。自我が形成される前に、他国の文化に根っこまで洗われることは、決していいことだとは思えません。アイデンティティ・クライシスという語が存在しますが、幼い子供には乗り越えがたいハードルではないか。

天才として世界に羽ばたく人は、そうした環境に置かれることもままあると思うんですが、恐ろしい陥穽に落ち込むことなく大成するというのは、実は僥倖なのではないか。そんな思いに駆られました。


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文章の匂いと個性


仕事柄、色々な文章に目を通しているせいか、文章の「匂い」をかぎ取る力はかなり強い方なんじゃないかと自負しています。そりゃ、これだけ来る日も来る日も入試問題や出題文に触れていれば、そうなるのも当然ですが。

例えば、入試に頻出の小説家・評論家などは、冒頭の2〜3行を読めば、かなりの確率で当てることができます。この導入の仕方は鷲田清一だな、この改行のムードはあさのあつこだな、という感じ。もちろんどれも初見の文章です。

先日は冒頭の10文字程度で「内田樹っぽい文章だな」と思い、出典を見るとビンゴ。だんだん占い師レベルになってきました(笑)。

別に自慢しているわけではありません。それぐらい、優れた文章家の文章には「匂い」が刻印されているということを言いたいわけです。私はそれを職業的に感知する能力が高まっているだけの話です。

どこでその「匂い」を察知しているのかは、私にも言語化しにくいんですが、主語と述語の距離、文末の助詞、句読点の息づかい、漢字とひらがなの混合率、改行のテンポ、などから感知しているんでしょうね。

中学入試に頻出の作家で言えば、日高敏隆、外山滋比古、あさのあつこ、伊集院静、重松清、養老孟司、長田弘、鷲田清一、内田樹 といった方々ですね。どの方の文章も強い「匂い」を放っています。

正直に言えば、上記の中には素晴らしいと思う作家もいれば、こんなの仕事じゃなきゃ読まねえよという作家もいるんですが、文章の中に個性が刻印されていることは否定できません。

個人的には、個性を伸ばそうなんていうのは馬鹿げた話だと思っています。上記の方々のように、否応なく現れてしまう、隠そうとしても隠しきれないものがある、それが「個性」でしょう。



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2015年 明けましておめでとうございます

新年明けましておめでとうございます。

本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

皆様におかれましても、実り多き一年となりますよう。

受験生の皆さんは、いよいよ本番の時。あと少し、身体に気を付けて頑張って下さいね。素晴らしい報告を期待しています!




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