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『神々の山嶺』(かみがみのいただき) を読んで

今月に入って読んだコミック『神々の山嶺 (かみがみのいただき)』の話です。

神々の山嶺(いただき) (1) (集英社文庫―コミック版 (た66-1))神々の山嶺(いただき) (1) (集英社文庫―コミック版 (た66-1))
(2006/10)
夢枕 獏、谷口 ジロー 他


私自身、山登りをすることに全く興味はないんですが、登山家、とりわけ異常な登山家の生き様には興味があります。凍傷で何本も指を失っているのに、何度もアタックを続ける登山家。高所から滑落して死の淵から生還した後、再び山頂を目指す登山家。

失礼な表現かもしれませんが、頭のネジが何本か外れているような生き様です。実際に、そうした登山家・冒険家は畳の上で死ぬことはほとんどありません。大抵は冬山や山壁で骸をさらすことになります。遺体が見つかればまだマシな方で、永遠に見つからないことも多い。

「何故に山を目指すのか」と聞かれた著名な登山家が、「そこに山があるから」と答えたというのは有名な話ですが、何かプリミティブな欲望が、そこには読み取れるような気がします。

ちなみに、上記はイギリス人ジョージ・マロリーの発言。本当は「何故あなたはエベレストに登るのか」と聞かれて「そこにエベレストがあるから」と答えたというエピソードです。なぜか、エベレストという個別ケースについてのエピソードが、山一般に関する問答にすり替わっている。

これは、「山に登る」という行為が、登山に無縁な人間にはもちろん、登山に没頭する人間にとっても極めて不可解なものだからなんじゃないでしょうか。「何故に山を目指すのか」「そこに山があるから」って、ほとんど禅問答です。国語の解答としては0点です(笑)。

ただ、そこには、人間として何となく納得できるようなところもある。自分の生きる意義がそこにあると感じたなら、命の危険があろうがなかろうが、そこに身を投じるしかない。

私の好きなバイクレーサー達も同じような精神構造をしているような気がします。特に、マン島TTのような公道レースを走るレーサー達です。時速320kmで狭い公道をぶっ飛ばすことに何の意義があるかはよく分からない。しかもレースでは毎年毎年死者が発生する。しかし、そこに生きる意義を見いだしてしまった以上、それ以外の活動で人生の満足を得ることはできないでしょう。

幸か不幸か、私は上記のような活動に没頭する精神構造をしていません。しかし、だからこそ、極端な活動に身を投ずる人の人生や活動を見たり読んだりすることが楽しい。



『神々の山嶺(かみがみのいただき)』は、まさに上記のような、命を冬山に賭することが人生の目的になっている男の話です。原作は夢枕獏、画は谷口ジロー。全五巻の長篇コミックです。

一気に読みたい気持ちを抑えて、一日に一巻ずつ読んだんですが、本当に読み応えがありました。恐ろしいまでにストイックな登山家、それを追う登山家でもある写真家、伝説的なシェルパ、目の前で滑落死した後輩、さまざまな人間が山を軸にして、人生を回転させている。

先程も書いたように、山に登ることが何になるのかよく分からない。しかし、そこに生きる意義を見いだしてしまった以上、そこから逃れることは難しい。山から逃れて安逸な生活を送ったところで、人生を生きた気にはなれないでしょう。危険な登山に命を賭けて、若く死んだとしても、それだけ濃密な人生が送れたならば、不幸とは言えないのではないか。むしろ死を身近に感じていた分、生の有り難みを存分に味わった人生ではなかったか。

そんなことを思わずにはいられない作品でした。本当に「山」や「スピード」って業のようなものだと思います。

ちなみに、映画化が決定していて、2016年に公開予定とのこと。キャスティングは、羽生丈二が阿部寛、深町誠が岡田准一、岸涼子が尾野真千子。お読みになった方には分かって頂けると思いますが、とても適切な配役ですよね。特に、阿部寛はバッチリ。必ず映画館で見るつもりです。




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