宮田塾のブログ

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入れ墨・タトゥーについて考える

最近、大阪市職員のニュースのせいか、入れ墨タトゥーが取り上げられることが多くなっています。

私の背中には九九表が彫ってあって、九九をなかなか覚えない生徒には「やいやい、早く覚えねぇか、この背中の九九表が目に入らねぇか!」と、脅しているんですが(ウソです)、入れ墨・タトゥーをどう考えるべきなのか。

個人的には、入れ墨・タトゥーは完全に各人の自由だと思います。入れたい人は入れればよいし、嫌な人は入れなければよい。ただ、入れ墨・タトゥーを見た各個人が当人にどのような評価を下すかも、これまた完全な自由です。カッコイイという評価を下す人もいれば、ダメなヤツだという評価を下す人もいるでしょう。



私自身、体に入れ墨・タトゥーは一切ありませんが、どうして入れないのかを真剣に考えたことがあります。真剣に考えるほどの事ではないかもしれませんが。

1.身体を傷つけることが良いとは思えない

小さな頃、怪我をすると、父親に叱られました。「怪我をするのはアホだ。注意力が足りない証拠だ。」決して「可哀想に、大丈夫か?」とは言ってもらえなかったんですね。今、大人になり、自分の子供を持つ身になりましたが、やっぱり同じ事を息子に言ってしまいます。注意力の欠如から怪我をすれば、自分が痛い思いをするのはもちろん、周りの人を心配させ悲しませることになるわけですから、慰めるより、叱る方が正しいと思うのです。子供からすると「泣きっ面に蜂」状態ですが……。

そんなわけで、少し大きくなってから、孔子先生の「身体髪膚これを父母に受くあえて毀傷せざるは孝の始めなり」(シンタイハップコレヲフボニウクアエテキショウセザルハコウノハジメナリ)(身体はすべて親から頂いたものなのだから、それを傷つけないようにするのが孝行の第一歩だ)という言葉を読んだときは、いたく納得した覚えがあります。故意はもちろん、過失であっても自分の身体を傷つけることは避けねばならない。結構真剣に信じております。

2.痛いのは嫌だ

私のようなヘタレに入れ墨の苦痛が耐えられるとは思えません。任侠の道の人達が入れ墨をユニフォームのようにするのは、「痛みなんて怖くない」という表示なんでしょうが、「痛み検定」みたいなので代用できないんでしょうか。「おぅおぅ、なめんなよ、俺は痛み検定一級だぜ!」みたいな感じで。事務所の壁には組員の痛検合格書がズラリ。ダメか……(笑)。

3.自分に似合わない

このあたりは個人的なセンスだと思いますが、入れ墨があまり格好いいとは思えません。まして、自分に似合うとは到底思えません。お金を出せば簡単に買える服にすら無頓着なのに、お金+苦痛+不便さを代償とするファッションに食指が動くはずはありません。

4.日常生活上不便だ

私、水泳が大好きで日常的に泳いでいるんですが、入れ墨があると私企業の営むプールは利用させてくれないことが多いように思います(公営のプールは利用を拒否すると憲法的な問題が生じますから、入れ墨のある人をよく見かけますが)。サウナや温泉・スポーツジムもアウトでしょう。仮にどれだけ格好いいと思っても、この一事だけで諦めるに十分です。

5.考えや趣味は変わるものだ

万が一、上記の理由全てをクリアしたとしても、「考えや趣味というものは年齢と共に変わってゆく」という事だけは、どうしても乗り越えられないように思います。

幼稚園の頃に夢中になった「何とかレンジャー」に、今でも夢中になっている大人はいないですよね。小学生の頃に素晴らしいと思っていた音楽を今聴いてみると、とんでもなくレベルの低い音楽だったりしませんか?中学生の頃に可愛い・カッコイイと思っていたアイドルの写真を今見てみると、何とも野暮ったく見えたりしませんか?結婚したときはあんなに好きな相手だったのに、今は見るだけでもイライラするなんてありませんか?(いや、最後の件、私には当てはまりませんので。念のため(笑)。)

私が思うのはそれなんです。今いくら格好いい・美しいと思っていても、その感情や美意識は、将来必ずや変化するはずです。そんな頼りない感情や美意識に基づいて、一生背負う事柄を決めてしまってよいはずはないでしょう。



そんなわけで、私の場合、入れ墨とは一生縁のない人生になりそうであります。入れ墨やタトゥーを入れようとしていらっしゃる若い方は、「考えや趣味は変わるものだ」ということをよくよく考えてからでもいいんじゃないでしょうか。




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