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パール・バック『母よ嘆くなかれ』


最近読んで印象に残った、パール・バック『母よ嘆くなかれ』について。

母よ嘆くなかれ 〈新訳版〉母よ嘆くなかれ 〈新訳版〉
(2013/06/24)
パール・バック




母よ嘆くなかれ母よ嘆くなかれ
(1973/09)
パール・バック

(私が読んだのはこちらの版)

パール・S・バック(Pearl Sydenstricker Buck)は、アメリカ人女性作家。ノーベル文学賞受賞者でもありますが、今は読む人も少なくなってしまった作家の一人だと思います。

代表作は『大地 (The Good Earth)』。この作品で、パール・バックはピューリッツァー賞とノーベル文学賞を受賞したんですが、私の父がこの作品の大ファン。それで私の名前は『大地』になったという次第。ある意味、私の名付け親のような作品です。

もちろん、私もこの『大地』は何度か読んできました。昔は、子供用リライト版『大地』が出版されていて、それで読んだのが最初だったはず。今アマゾンで調べてみると、もうそんな作品は販売されていないようですが……。大人向きの翻訳版も何度か読んだはずですが、ずいぶん前の話で、誰の翻訳で読んだかが分かりません。年齢によって捉え方の異なりそうな作品なので、また暇なときにでも再読してみようと思います。

さて、私からすると、上記のような意味で縁の深い作家であるパール・バック女史なんですが、不思議と最近に至るまでその私生活を気にとめることはありませんでした。『大地』に描かれる王龍(ワン・ルン)と阿藍(オー・ラン)の生活、中国大陸の風土があまりに印象深く、完成されていたからかもしれません。

先月、目的もなくアマゾンをウロウロしていた際に(もちろんネット書店の方ですよ)、ふとパール・バック女史の名前を見かけました。「そうだそうだ、長い間『大地』を読んでいなかったよ、別の翻訳で読んでみるのもいいかもな」と思いながら、作品を検索していて見つけたのが、『母よ嘆くなかれ』です。

どんな作品だろうとカスタマーレビューを読み、初めて知りました。彼女のたった一人の娘さんは知的障害を持って生まれたお子さんだったんですね。『母よ嘆くなかれ』の原題は『The Child Who Never Grew』。「決して成長しなかった子」というとても切ないタイトルです。

自分の命より子の命の方が遥かに大切、子の幸せは我が身の幸せ、子の不幸は何としてでも取り除いてやりたい。子を持つ身になれば分かることですが、どの親もそう思うはずです(そう思わないなら親ではないと思う)。できれば、色々な風景を一緒に見て、色々な経験を共有して、色々なことについて語り合いたい。心の底から打ち解けあって、忌憚のない意見をぶつけあいたい。それは決して贅沢な望みではないでしょう。

パール・バックは言語学者や文学者などを輩出した家の生まれ、自身も小説をものす人ですから、上記のような我が子との交流を強く求めていたはず。知的障害を持って生まれてきた我が子をどう受け止めればよいのか、想像を絶する煩悶があったことは、私のような鈍な人間にも分かります。



ここからは、『母よ嘆くなかれ』から引用しつつ話を進めましょう。この書の冒頭部で、パール・バックは、隠し立てすることがあっては意味がない、生やさしいことではないが、本当にあった事を修飾を施さずその通りに書くのだと宣言しています。

(現在の観点からすると、差別的な表現があるとお感じになる方もいらっしゃるかもしれませんが、パール・バック氏および翻訳者の意図を尊重してそのまま引用します。なお、引用元は法政大学出版局、翻訳者松岡久子氏版の『母よ嘆くなかれ』です。)

生まれたばかりの娘さんに、まわりの人々が声を掛けます。「まれに見る綺麗な子だ」「本当に利口そうな子だ」パール・バックは誇らしくてならず、幸福の絶頂にあったはずです。しかしその数年後、残酷な事実を突きつけられます。

彼女が何年たっても子供から成長しない、知能がそれ以上に発育しないだろうということを知ったとき、私の胸をついて出た最初の叫びは、「どうして私はこんな目に遭わなくてはならないのだろう」という避けることのできない悲しみを前にして、すべての人々が昔から幾度となく口にして来たあの叫び声、そうです、あの同じ叫び声でした。この疑問に対する答えはありようはずもなく、そして事実何もありませんでした。


世の中には、この叫び声を乗り越えられる人、乗り越えられない人がいるのだろうと思います。パール・バックは乗り越える道を選びます。

当初、周囲の人々は彼女に本当の話をしません。子供の成長の度合いは様々だ、きっと大丈夫、等々とうわべの慰めに終始します。

今日になっても私は、何故この人たちが遠慮して本当の話をしてくれなかったのかわかりません。というのは私は常日ごろから、真実こそ嘘の慰めよりはるかに尊いものであり、また単刀直入の言葉こそ衣を着せた曖昧さより親切であり、更にまた本当の友達であればあるほど、真実を語らなくてはならないものと考えているからであります。避けられない痛手であれば早く受けた方がよいものです。


真実を受け入れることは時に辛いことです。しかし、いつかは受け入れざるを得ない。そうであれば早い方が良い。塾を運営していると、(ここまで重大ではありませんが)辛い真実を話さなくてはならない事が時々あります。話される側も、話す側も、それは苦痛に満ちた事です。

さて、彼女は娘の知的障害を治療・緩和すべく、良医を求め全米を旅して回ります。

ある冬の日のこと、私と娘の悲しい旅はミネソタ州のロチェスターで終わりを告げました。私たちは最後に、そこのメイヨー・クリニック病院に送られ、来る日も来る日も終わりそうもない細かい完全な検査を受けました。検査が進むに従って、私は自信が出てくるような気になりました。これだけの研究と知識があれば、きっと真実はわかり、またどうすればよいかもわかるに違いないと私は思ったからでした。


彼女は担当医に「望みはないでしょうか?」と問いかけますが、担当医は返答をはっきりしません。今までの他の医師と全く同様です。

その時、私が生きているかぎり感謝しなくてはならない一瞬が、幸運にも私を訪れたのでした。(中略) あの一人の人に感謝しなくてはなりません。


その小柄なドイツ人らしき人は、担当医がどう述べたかを聞いた後、早口に不正確な英語でこう言いました。

「奥さんに申し上げますが、お子さんは決して正常にはなりません。ご自身を欺くことはおやめなさい。貴女が望みを捨てた真理を受け入れなければ、貴女は命をすりへらし、家族は乞食になるばかりです。お子さんは決してよくならないでしょう。(中略) 私はこのような子供を沢山みてきました。アメリカ人はみんな甘過ぎます。私は甘くありません。貴女がどうすればよいかを知るためには苛酷な方がよいのです。このお子さんは貴女の全生涯を通じて、貴女の重荷になるでしょう。その負担に耐える準備をなさい。(中略) このお子さんが貴女のすべてを吸収してしまうようなことをさせてはなりません。お子さんが幸福に暮せるところをお探しなさい。そして其処にお子さんを置いて、貴女はご自分の生活をなさい。私は貴女のために本当のことを申し上げているのです。」


経験のない私には、「身体の中で絶望的に血が流れ出すような感じであったと申し上げるよりほかはありません」という言葉から、彼女の思いを想像することしかできません。

上記の件を転機として、パール・バックは良医ではなく、娘のための施設を探し始めます。そしてあらゆる施設を見て回り、ある施設を娘の住処とすることに決めます。彼女の選定眼はとても確かなものです。

私はどこへ行っても、壁にも文房具にも一つのモットーが書かれているのに気がついたのです。「まず幸福を、万事は幸福から」というのがそのモットーでした。そしてこの言葉は、校長自身の机の上にもかけられてありました。私がこの言葉をじっと見つめていると、「それは単なる感傷ではなく、長い経験の賜物なのです。子供の魂と精神が不幸から解放されないかぎり、私たちは何も子供たちに教えることが出来ないと経験によって知ったわけです。幸福な子供だけが、ものを覚えることが出来るのです。」と、その校長さんは言うのでした。ものを教えることに多少の経験をもっていた私には、その校長さんの言うことが、健全な教育の原則であることがよく分かりました。


私も教えることに多少の経験があるわけですが、これは真実だと思います。幸福でなければ勉強もスポーツもへったくれもありません。子供には「学ぶ権利」があるとよく言いますが、その前提として、子供に「幸せになる権利」があるということは大原則です。

そして施設への入所。初めての面会日のくだりを引用します。

娘が小さな腕で私の首のまわりに抱きついて来るのを引きはなして、後も振り返らずに帰ってこなくてはならなかったあの日のことを、私は一生涯忘れることは出来ません。私には保姆さんが娘をしっかり抱いているのがわかりましたが、勇気がくじけてしまわないように、私は振り返ってはならない、振り返ってはならないと自分にいいきかせながら逃げ出すように帰って来たのでした。


子を持つ身として、涙を禁じ得ませんでした。子の腕のぬくもりや小ささ、泣き叫ぶ子に振り返りもしない(できない)自分の冷たさ。我が身に置き換えると、耐えられそうにもありません。子に毒だと分かっていても、駆け寄って抱きしめてしまいそうで。

その後、娘さんは施設で幸せな暮らしを送るようになり、時々実家に帰っても、自ら施設に戻りたがるほど、施設を安住の場とします。このケースについては、施設入所は、母親であるパール・バックにも、娘さんにも幸せな方策であったと言えるでしょう。



その他にも、パール・バックの障害児教育に対する当事者としての考えが述べられており、重いテーマを投げかけてくる本なんですが、決して暗い本ではありません。そういう意味で、日本語訳のタイトル『母よ嘆くなかれ』は適切なものだと思います。母は偉大なり。




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